資料211 芥川龍之介の夏目漱石への手紙




       芥川龍之介の夏目漱石への手紙

              大正5年8月28日 一の宮から 夏目金之助宛
    
先生
また、手紙を書きます。嘸、この頃の暑さに、我々の長い手紙をお讀になるのは、御迷惑だらうと思ひますが、これも我々のやうな門下生を持つた因果と御あきらめ下さい、その代り、御返事の御心配には及びません。先生へ手紙を書くと云ふ事がそれ自身、我々の滿足なのですから。
今日は、我々のボヘミアンライフを、少し御紹介致します。今居る所は、この家で別莊と稱する十疊と六疊と二間つゞきのかけはなれた一棟ですが、女中はじめ我々以外の人間は、飯の時と夜、床をとる時との外はやつて來ません。これが先、我々の生活を自由ならしめる第一の條件です。我々は、この別莊の天地に、ねまきも、おきまきも一つで、ごろごろしてゐます。來る時に二人とも時計を忘れたので、何時に起きて何時に寝るのだか、我々にはさつぱりわかりません。何しろ太陽の高さで、略々見當をつけるんですから、非常に「帳裡日月長」と云ふ氣がします。それから、甚、尾籠ですが、我々は滅多に後架へはいりません。大抵は前の庭のやうな所へ、してしまふのです。砂地で、すぐしみこんでしまひますから、宿の者に發見される惧などは、萬萬ありません。第一、非常に手輕で、しかも爽快です。さう云ふ始末ですから、部屋の中は、原稿用紙や本や繪の具や枕やはがきで、我ながらだらしがないと思ふ程、雜然紛然としてゐます。私は本來久米などより餘程きれいずきなのですが、この頃はすつかり惡風に感染してしまひました。夜はそのざふもつを、隅の方へつみかさねて、女中に床をとつてもらひます。ふとんやかいまきは、可成淸潔ですが、蚊帳は穴があるやうです。やうですと云ふのは、何時でも中に蚊がはいつてゐるからで、實際穴があるかどうか、面倒くさいから、しらべて見た事はありません。その代り、獅嚙火鉢を一つ、蚊帳の中へ入れて、その中で盛に、蚊やり線香をいぶしました。久米の説によると、いぶしすぎた晩は、あくる日、頭が痛いさうです。ではよさうかと訊きますと、蚊に食はれるよりは、頭痛のする方がまだいゝと云ひます。そこで、やはり毎晩、十本位づゝ燃やす事にきめました。頭痛はしないまでも、いぶしすぎると、翌日、鼻の穴が少しいぶり臭いやうです、線香さへなくなれば、もういゝ加減にやめてもいいのですが、こてこて買つて來たので、中々なくなりさうもありません、この頃は、それが少し苦になり出しました。
海へは、雨さへふつてゐなければ、何事を措いてもはひります。こゝは波の靜な時でも、外よりは餘程大きなのがきますから、少し風がふくと、文字通りに、波濤洶湧します。一昨日、我々がはいつてゐた時でした。私が少し泳いで、それから脊の立つ所へ來て見ると、どうしたのだかゐる筈の久米の姿が見えません、多分先へ上つたのだらうと思つて、砂濱の方へ來て見ますと、果してそこにねころんでゐました。が、いやな顔色をして、兩手で面をおさへながら、うんうん云つてゐるのです、久米は心臟の惡い男ですから、どうかしたのかと思つて、心配しながら訊いて見ますと、實は、無理に遠くまで泳いで行つた爲にくたびれて歸れなくなつた所へ、何度も頭から波をかぶつたので、大へん苦しんだのださうです、さうして、あまり鹹い水をのんだので、もうこれは駄目かなと思つたのださうです。では又、何故そんなに遠くへ行つたのだと云ひますと、女でさへ泳いでゐるのに、男が泳げなくちや外聞がわるいと思つて、奮發したのだと云ふ事でした。つまらない見えをしたものです。事によると、この女なるものが、尋常一樣の女ではなくつて、久米のほれてゐる女だつたかもしれません。女と云へば、きれいな女は一人もゐませんが、黑の海水着に、赤や緑の頭巾をかぶつた女の子が、水につかつてゐるのはきれいです。彼等は、全身が歡喜のやうに、躍つたり、跳ねたりしてゐます。さうして、蟹が一つ這つてゐても、面白さうにころがつて笑ひます、濱菊のさいてゐる砂丘と海とを背景にして、彼等の一人を、ワツトマンへ畫かうと云ふ計畫があるんですが、まだ着手しません。畫は、新思潮社同人中で、久米が一番早くはじめました。何でも大下藤次郎氏か三宅克己氏の弟子か何かになつたのかも知れません、とにかく、セザンヌの孫弟子位には、かけるさうです。同人の中には、まだ松岡も畫をかきます、しかし、彼の畫は、倒にして見ても横にして見ても、差支へないと云ふ特色がある位ですから、まあ私と五十歩百歩でせう。それでも二人とも、ピカソ位には行つてゐると云ふ自信があります。
いよいよ九月の一日が近づくので、あんまりいゝ氣はしません。先生にあやまつて頂くよりは、御禮を云ふやうになる事を祈つてゐます。
今日、チエホフの新しく英譯された短篇をよんだのですが、あれは容易に輕蔑出來ません。あの位になるのも、一生の仕事なんでせう。ソログウブを私が大に輕蔑したやうに、久米は書きましたが、そんなに輕蔑はしてゐません。ずゐぶん頭の下るやうなパツセエヂも、たくさんあります、唯、ウエルスの短篇だけは、輕蔑しました。あんな俗小説家が聲名があるのなら、英國の文壇よりも、日本の文壇の方が進歩してゐさうな氣がします。
我々は海岸で、運動をして、盛に飯を食つてゐるんですから、健康の心配は入りませんが、先生は、東京で暑いのに、小説をかいてお出でになるんですから、さうはゆきません、どうかお體を御大事になすつて下さい。修善寺の御病氣以來、實際、我々は、先生がねてお出でになると云ふと、ひやひやします。先生は少くとも我々ライズィングジェネレエションの爲めに、何時も御丈夫でなければいけません、これでやめます。
    八月二十八日             芥 川 龍 之 介
  夏 目 金 之 助 樣  梧下


  (注) 1.  この、夏目漱石あての芥川龍之介の手紙は、『芥川龍之介全集 第10巻』書簡一(岩波書店、1978年5月22日第1刷発行・1983年2月21日第2刷発行)によりました。書簡番号は、223です。           
    2.  平仮名の「く」を縦に伸ばした形の繰り返し符号は、普通の仮名に直してあります(「ごろごろ」)。また、平仮名の「こ」を押し潰したような形の繰り返し符号も、「々」に直しました(略々)。     
    3.  上記全集の後記によれば、この手紙は、大正7年7月18日新潮社刊『文壇名家書簡集』からの転載とのことです。    
    4.  上記全集に掲載されている漱石あての手紙は、この1通のみです。    
    5.   手紙文中の語句について。
 〇獅嚙火鉢(しがみ・ひばち)=金属製のつばの広い円火鉢で、脚や把手が獅嚙(獅子の顔面を文様化したもの)の意匠になっているもの。
 〇ソログウブ=ソログーブ
 〇ソログーブ [Fedor K.Sologub] =(本姓Teternikov) ロシアの小説家・詩人。前期象徴派を代表するデカダンスの作家で、死・エロス・悪魔などを好んでとりあげた。長編「悪魔」、詩集「炎の輪」など。(1863- 1927) (以上、『広辞苑』第6版による。)
   
           








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