資料208 朱舜水「楠公碑陰記」    




         楠公碑陰記 
                         朱 舜 水 
 
忠孝著乎天下日月麗乎天天地無日月則晦蒙否塞人心廢忠孝則亂賊相尋乾坤反覆余聞楠公諱正成者忠勇節烈國士無雙蒐其行事不可概見大抵公之用兵審強弱之勢於幾先決成敗之機於呼吸知人善任體士推誠是以謀無不中而戰無不克誓心天地金石不渝不爲利囘不爲害怵故能興復王室還於舊都諺云前門拒狼後門進虎廟謨不臧元兇接踵構殺國儲傾移鐘簴功垂成而震主策雖善而弗庸自古未有元帥妒前庸臣專斷而大將能立功於外者卒之以身許國之死靡佗觀其臨終訓子從容就義託孤寄命言不及私自非精忠貫日能如是整而暇乎父子兄弟世篤忠貞節孝萃於一門盛矣哉至今王公大人以及里巷之士交口而誦説之不衰其必有大過人者惜乎載筆者無所考信不能發揚其盛美大德耳
  右故河攝泉三州守贈正三位近衛中將楠公贊明徴士舜水朱之瑜字魯璵之所撰勒代碑文以垂不朽
   


  (注) 1.   この「楠公碑陰記」は、湊川にある「嗚呼忠臣楠子之墓」の碑陰記です。碑面の「嗚呼忠臣楠子之墓」は徳川光圀の筆、碑陰記は朱舜水の撰です。    
    2.  この碑陰記は、『人物叢書 朱舜水』(石原道博著、吉川弘文館 昭和36年12月25日第1版第1刷発行、平成元年12月1日新装版第1刷発行)所収の湊川楠公碑の拓本(挿図20、同書238頁)によりました。          
    3.   この碑文は、朱舜水の「楠正成像賛三首」の第一をとったものです。「楠正成像賛三首」は、『朱舜水全集』(稲葉岩吉・編。文會堂書店、明治45年4月17日発行)に収められている『朱舜水先生文集 巻十七』で見ることができます。(『朱舜水全集』349~350頁)    
    4.   『人物叢書 朱舜水』には、句読点・返り点のついた活字本文が、『朱舜水全集』所収の『朱舜水先生文集 巻十七』には、句点・返り点のついた活字本文が載っています。    
    5.   本文の改行は、碑文に合わせてあります。朱舜水の本文は、1行30字、10行、ただし10行目が19字なので、全部で289字(30×9+19)になります。これに補足文が2行(28字+13字)41字付いています。 
(スマホでは、碑文の改行が正確に出ないかもしれません。その点ご注意ください。)
              
   
    6.   鈴木暎一著『人物叢書(新装版) 徳川光圀』(吉川弘文館 2006年(平成18)11月1日第1版第1刷発行)に、「(建碑の)工事は七月十九日から始まり、石工三五人がかりで八月には上下壇とも形態が整った。墓碑には光圀自身の揮毫になる「嗚呼忠臣楠子之墓」の文字を表面に彫らせ、碑陰にはかつて朱舜水が作った「楠公賛」の文章を京都の書家岡村元春に書かせ、彫らせた。碑陰の文を彫り終え工事がすべて終了するのは元禄五年の十二月二十一日である」とあります。(同書、237-238頁)    
    7.  フリー百科事典『ウィキペディア』に「湊川神社」の項があり、そこに「楠公の墓」の説明があって、建碑の経緯が詳しく述べられています。           
    8.   湊川神社(みなとがわ・じんじゃ)=神戸市中央区にある元別格官幣社。楠木正成を主神とし、相殿(あいどの)に正行・正季以下一族将士を配祀。徳川光圀が墓碑を建てた地に1872年(明治5)創建。(『広辞苑』第6版による)    
9.   朱舜水(しゅ・しゅんすい)=明末の儒学者。名は之瑜(しゆ)、字は魯璵(ろよ)、舜水は号。浙江省余姚の人。実学を重んじ、礼法や建築にも精通。明の再興を企てて成らず、1659年(万治2)日本に亡命・帰化し、徳川光圀に招かれ江戸に来往した。諡(おくりな)して文恭先生。著「舜水先生文集」など。(1600-1682) (『広辞苑』第6版による)(引用者注:朱舜水の生地「余姚」は、「ヨヨウ」と読みます。余姚は、王陽明(守仁)の生地でもあります。)       
    10.   湊川神社のホームページがあり、楠木正成の生涯についての記述が見られます。    
    11.  『国立国会図書館デジタルコレクション』に、巌谷一六(修)・書の『楠公湊川碑』(大阪:松泉堂、明治19年12月発行)があります。    
    12.  皇居外苑に建っている楠木正成の騎馬姿の銅像の写真とその解説が、『ぶらり重兵衛の歴史探訪2』というホームページの「会ってみたいなこの人に」(銅像巡り・銅像との出会い)のコーナーで見られます。    
    13.  『茨城県立歴史館』のホームページで、「朱舜水肖像画」を見ることができます。
 『茨城県立歴史館』
  →「朱舜水肖像画」
   
    14.  『銅像はにわイズム』というブログで、水戸市北見町にある「朱舜水の銅像」の写真が見られます。       
    15.  次に、下記の参考書を参考に、「楠公碑陰記」を、訓読してみます。(お気づきの点を教えていただけると、ありがたいです。)

                  楠公碑陰記        朱舜水 
忠孝天下に著(あら)はれ、日月天に麗(つ)く。天地に日月無ければ、則ち晦蒙(かいもう)否塞(ひそく)し、人心に忠孝を廢すれば、則ち亂賊相尋(あひつ)ぎ、乾坤反覆す。余聞く、楠公諱(いみな)正成は、忠勇節烈にして、國士無雙なり、と。其の行事を蒐(けみ)するに、概見すべからず。大抵、公の兵を用ふる、強弱の勢ひを幾先に審(つまび)らかにし、成敗の機を呼吸に決す。人を知りて善く任じ、士を體して誠を推(お)す。是(ここ)を以て、謀(はかりごと)(あた)らざるなくして、戰(たたかひ)(か)たざるなし。心を天地に誓つて、金石渝(かは)らず。利の爲に囘(かへ)らず、害の爲に怵(おそ)れず。故に能く王室を興復し、舊都に還(かへ)せり。諺に云ふ、前門に狼を拒(ふせ)いで、後門に虎を進む、と。廟謨(べうぼ)(よ)からず。元兇踵(きびす)を接し、國儲を構殺し、鐘簴(しようきよ)を傾移す。功成るに垂(なんなん)として、主を震(おどろ)かす。策善しと雖も、庸(もち)ひられず。古(いにしへ)より未だ、元帥前を妒(ねた)み庸臣(ようしん)斷を專らにして、大將能く功を外に立つる者あらず。之(これ)を卒ふるに、身を以て國に許し、死に之(ゆ)いて佗(た)なし。其の終りに臨み、子に訓(をし)ふるを觀るに、從容(しようよう)として義に就き、孤に託し命を寄せ、言(げん)私に及ばず。精忠日を貫くに非ざるよりは、能く是(か)くの如く整ふに暇(いとま)あらんや。父子兄弟、世々に忠貞を篤くし、節孝一門に萃(あつ)まる。盛んなる哉。今に至りて、王公大人、以て里巷の士に及ぶまで、口を交へて之(これ)を誦説して衰へず。其れ必ず大いに人に過ぐる者あらん。惜しいかな、筆を載する者、信を考ふる所なく、其の盛美大德を發揚すること能はざるのみ。
  右は、故(もと)河・攝・泉三州の守、贈正三位近衛中將楠公の贊、明の徴士、舜水朱之瑜(しゆ)、字(あざな)魯璵(ろよ)の撰する所、勒(ろく)して碑文に代へ、以て不朽に垂(た)る。    
       
   
    16. 参考書
 〇水戸学大系第六巻『安積澹泊集(附 朱舜水集)』(高須芳次郎編。水戸学大系刊行会・昭和15年12月17日発行、昭和17年8月20日再版
 〇木下英明著 水戸の人物シリーズ第5集『文恭先生 朱舜水』(水戸史学会、平成元年7月7日発行
 〇石原道博著『人物叢書 朱舜水』(吉川弘文館 昭和36年12月25日第1版第1刷発行、平成元年12月1日新装版第1刷発行
 〇木下英明「朱舜水の楠正成像賛について」(『水戸史學』第22号、水戸史学会・昭和 60年4月30日発行
 〇木下英明「朱舜水の「楠正成像賛三首」について」(平成8年度第13回水戸学講座講録『水戸先哲の不朽の名文Ⅱ』(常磐神社、平成9年5月12日発行)所収)
 〇鈴木暎一著『人物叢書(新装版) 徳川光圀』(吉川弘文館 2006年(平成18)11月1日第1版第1刷発行
   
           








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