資料202 夏目漱石の手紙2通(久米正雄・芥川龍之介あて、芥川龍之介・久米正雄あて) 




       夏目漱石の手紙2通(久米正雄・芥川龍之介あて)




 夏目漱石の手紙(久米正雄・芥川龍之介あて)

      大正5年8月21日(月)午後4時─5時 牛込區早稻田南町七番地より
      千葉縣一ノ宮町一ノ宮館久米正雄・芥川龍之介へ


 あなたがたから端書がきたから奮發して此手紙を上げます。僕は不相變「明暗」を午前中書いてゐます。心持は苦痛、快樂、器械的、此三つをかねてゐます。存外凉しいのが何より仕合せです。夫でも毎日百回近くもあんな事を書いてゐると大いに俗了された心持になりますので三四日前から午後の日課として漢詩を作ります。日に一つ位です。さうして七言律です。中々出來ません。厭になればすぐ已めるのだからいくつ出來るか分りません。あなた方の手紙を見たら石印云々とあつたので一つ作りたくなつてそれを七言絶句に纏めましたから夫を披露します。久米君は丸で興味がないかも知れませんが芥川君は詩を作るといふ話だからこゝへ書きます。
  尋仙未向碧山行。住在人間足道情。明暗雙雙三萬字。撫摩石印自由成。
 (句讀をつけたのは字くばりが不味かつたからです。明暗雙々といふのは禪家で用ひる熟字であります。三萬字は好加減です。原稿紙で勘定すると新聞一回分が一千八百字位あります。だから百回に見積ると十八萬字になります。然し明暗雙々十八萬字では字が多くつて平仄が差支へるので致し方がありません故三萬字で御免を蒙りました。結句に自由成とあるは少々手前味噌めきますが、是も自然の成行上已を得ないと思つて下さい) 
 一の宮といふ所に志田といふ博士がゐます。山を安く買つてそこに住んでゐます。景色の好い所ですが、どうせ隱遁するならあの位ぢや不充分です。もつと景色がよくなけりや田舎へ引込む甲斐はありません。
 勉強をしますか。何か書きますか。君方は新時代の作家になる積でせう。僕も其積であなた方の將來を見てゐます。どうぞ偉くなつて下さい。然し無暗にあせつては不可ません。たゞ牛のやうに圖々しく進んで行くのが大事です。文壇にもつと心持の好い愉快な空氣を輸入したいと思ひます。それから無暗にカタカナに平伏する癖をやめさせてやりたいと思ひます。是は兩君とも御同感だらうと思ひます。
 今日からつくつく法師が鳴き出しました。もう秋が近づいて來たのでせう。
 私はこんな長い手紙をたゞ書くのです。永い日が何時迄もつゞいて何うしても日が暮れないといふ證據に書くのです。さういふ心持の中に入つてゐる自分を君等に紹介する爲に書くのです。夫からさういふ心持でゐる事を自分で味つて見るために書くのです。日は長いのです。四方は蝉の聲で埋つてゐます。以上
     八月二十一日                 夏目金之助
   久 米 正 雄 樣
   芥川 龍之介 樣       


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夏目漱石の手紙(芥川龍之介・久米正雄あて)

      大正5年8月24日(木)午後6時─7時 牛込區早稻田南町七番地より
      千葉縣一ノ宮町一ノ宮館芥川龍之介・久米正雄へ 

 此手紙をもう一本君等に上げます。君等の手紙があまりに潑溂としてゐるので、無精の僕ももう一度君等に向つて何か云ひたくなつたのです。云はゞ君等の若々しい靑春の氣が、老人の僕を若返らせたのです。
 今日は木曜です。然し午後(今三時半)には誰も來ません。例の瀧田樗陰君は木曜日を安息日と自稱して必ず金太郎に似た顔を僕の書齋にあらはすのですが、その先生も今日は缺席するといつてわざわざ斷つて來ました。そこで相變らず蝉の聲の中で他から頼まれた原稿を讀んだり手紙を書いたりしてゐます。昨日作つた詩に手も入れて見ました。「癲狂院の中より」といふ色々な狂人を書き分けたものだといふ原稿を讀ませられました。中々思ひ付きを書く人があるものです。
 芥川君の俳句は月並ぢやありません。もつとも久米君のやうな立體俳句を作る人から見たら何うか知りませんが、我々十八世紀派はあれで結構だと思ひます。其代り畫は久米君の方がうまいですね。久米君の繪のうまいには驚ろいた。あの三枚のうちの一枚(夕陽の景?)は大變うまい。成程あれなら三宅恒方さんの繪をくさす筈です。くさしても構はないから、僕にいつか書いて呉れませんか。(本當にいふのです)。同時に君がたは東洋の繪(ことに支那の畫)に興味を有つてゐないやうだが、どうも不思議ですね。そちらの方面へも少し色眼を使つて御覽になつたら如何ですか、其所には又そこで滿更でないのもちよいちよいありますよ、僕が保證して上げます。
 僕は此間福田半香(華山の弟子)といふ人の三幅對を如何はしい古道具屋で見て大變旨いと思つて、爺さんに價を訊いたら五百圓だと答へたので、大いに立腹しました。是は繪に五百圓の價がないといふのではありません。爺なるものが僕に手の出せないやうな價を云つて、忠實に半香を鑑賞し得る僕を吹き飛ばしたからであります。僕は仕方なしに高いなあと云つて、店を出てしまひましたが、其時心のうちでそんならおれにも覺悟があると云ひました。其覺悟といふのを一寸披露します。笑つちやいけません。おれにおれの好きな畫を買はせないなら、已を得ない。おれ自身で其好き[な]畫と同程度のものをかいてそれを掛けて置く。と斯ういふのです。それが實現された日にはあの達磨などは眼裏の一翳です。到底芥川君のラルブルなどに追ひ付かれる譯のものではないのですから、御用心なさい。
 君方は能く本を讀むから感心です。しかもそれを輕蔑し得るために讀むんだから偉い。(ひやかすのぢやありません、賞めてるんです)。僕思ふに日露戰爭で軍人が露西亞に勝つた以上、文人も何時迄恐露病に罹つてうんうん蒼い顔をしてゐるべき次第のものぢやない。僕は此氣燄をもう餘程前から持ち廻つてゐるが、君等を惱ませるのは今回を以て嚆矢とするんだから、一遍丈は默つて聞いてお置きなさい。
 本を讀んで面白いのがあつたら敎へて下さい。さうして後で僕に借して呉れ玉へ。僕は近頃めちやめちやで昔し讀んだ本さへ忘れてゐる。此間芥川君がダヌンチオのフレーム オフ ライフの話をして傑作だと云つた時、僕はそんな本は知らないと申し上げたが其後何時も坐つてゐる机の後ろにある本箱を一寸振り返つて見たら、其所に其本がちやんとあるので驚ろいちまひました。たしかに讀んだに相違ないのだが何が書いてあるかもうすつかり忘れてしまつた。出して見たら或は鉛筆で評が書いてあるかも知れないが面倒だから其儘にしてゐます。
 きのふ雜誌を見たらショウの書いた新らしいドラマの事が出てゐました。是はとても倫敦で興行できない性質のものださうです。グレゴリー夫人の勢力ですら、ダブリンの劇場で跳ね付けたといふ猛烈のもので、無論私の刊行物で數奇者の手に渡つてゐる丈なのです。兵隊がV.C.を貰つて色々なうそを並べ立てゝ景氣よく應募兵を煽動してあるく所などが諷してあるのです。ショウといふ男は一寸いたづらものですな。
 一寸筆を休めて是から何を書かうかと考へて見たが、のべつに書けばいくらでも書けさうですが、書いた所で自慢にもならないから、此所いらで切り上げます。まだ何か云ひ殘した事があるやうだけれども。
 あゝさうだ。さうだ。芥川君の作物の事だ。大變神經を惱ませてゐるやうに久米君も自分も書いて來たが、それは受け合ひます。君の作物はちやんと手腕がきまつてゐるのです。决してある程度以下には書かうとしても書けないからです。久米君の方は好いものを書く代りに時としては、どつかり落ちないとも限らないやうに思へますが、君の方はそんな譯のあり得ない作風ですから大丈夫です。此豫言が適中するかしないかはもう一週間すると分ります。適中したら僕に禮をお云ひなさい。外れたら僕があやまります。
 牛になる事はどうしても必要です。吾々はとかく馬になりたがるが、牛には中々なり切れないです。僕のやうな老獪なものでも、只今牛と馬とつがつて孕める事ある相の子位な程度のものです。
 あせつては不可せん。頭を惡くしては不可せん。根氣づくでお出でなさい。世の中は根氣の前に頭を下げる事を知つてゐますが、火花の前には一瞬の記憶しか與へて呉れません。うんうん死ぬ迄押すのです。それ丈です。决して相手を拵らへてそれを押しちや不可せん。相手はいくらでも後から後からと出て來ます。さうして吾々を惱ませます。牛は超然として押して行くのです。何を押すかと聞くなら申します。人間を押すのです。文士を押すのではありません。
 是から湯に入ります。
     八月二十四日                 夏目金之助
   芥川 龍之介 樣
   久 米 正 雄 樣
 君方が避暑中もう手紙を上げないかも知れません。君方も返事の事は氣にしないでも構ひません。




  (注) 1. この夏目漱石の手紙は、『漱石全集 第15巻』續書簡集(岩波書店、昭和42年2月18日発行)によりました。書簡番号は、2207 と 2210です。    
    2. 大正5年8月21日(月)付の手紙(2207) について
(1) 平仮名の「く」を縦に伸ばした形の繰り返し符号は、普通の仮名に直してあります(「つくつく法師」)。
(2) 全集の「注解」に、「志田……志田鉀太郎のこと。 カタカナ……外国文学の意。」とあります。
   
    3.  大正5年8月24日(木)付の手紙(2210) について 
(1) 全集の原文に、「まあ(原)りに」とあるのを、「あまりに」と直してあります。また、平仮名の「く」を縦に伸ばした形の繰り返し符号は、普通の仮名に直してあります(「わざわざ」「ちよいちよい」「うんうん」「あゝさうだ。さうだ」)。
(2) 全集の原文では、「華山」のところが「華[崋]山」 となっています。
(3) 全集の「注解」から、一部を写させていただきます。
 ○三宅恒方さん……昆虫学者。理学博士。
 ○福田半香……文化元年(1804)-元治元年(1864)。名は佶。江戸末期の画家で、渡辺崋山の弟子。
   ○ダヌンチオ……イタリヤの詩人・小説家・劇作家 Gabriele D'Annunzio(1863-1938)。
 ○グレゴリー夫人……イギリス(アイルランド)の女流劇作家  Gregory, Isabella Augusta (1852-1932)。
 ○V.C. ……Victoria Cross (ヴィクトリヤ十字勲章)の略。1850年ヴィクトリヤ女王の制定したもので、イギリス陸海軍人で武勲のある者に授けられた。
   
           
           
           





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