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(注) |
1. |
上記の詩は、日本の詩『山村暮鳥』(ほるぷ出版、昭和50年12月1日初版発行)によりました。 |
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2. |
「風景」は、詩集『聖三稜玻璃』(にんぎょ詩社、大正4年12月10日発行)に収められている詩です。詩集『聖三稜玻璃』は電子図書館 『青空文庫』で読むことができます。
→『青空文庫』 → 詩集『聖三稜玻璃』
→「風景」 |
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3. |
山村暮鳥(やまむらぼちょう)=(1884-1924)詩人。群馬県生まれ。本名、小暮(のち土田)八九十(はくじゅう)。聖三一神学校卒。大正初期、詩集「三人の処女」「聖三稜玻璃」を刊行、さまざまな詩型の試みに満ちた特異な感覚の詩人として詩壇に登場、のち人道主義詩風に転じた。詩集「風は草木にささやいた」「雲」など。 (『大辞林 第二版』による。) |
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4. |
電子図書館 『青空文庫』では、詩集『聖三稜玻璃』の外に、『風は草木にささやいた』・『雲』その他を読むことができます。 |
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5. |
かつて『J−TEXTS』(日本文学電子図書館)で、山村暮鳥の8詩集(『三人の処女』『聖三稜玻璃』『風は草木にささやいた』『梢の巣にて』『雲』『月夜の牡丹』『土の精神』『万物節』)を読むことができましたが、今は残念ながらできないようです。 |
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6. |
山村暮鳥の墓は、水戸市八幡町の江林寺墓地(祇園寺が管理)にあります。 |
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7. |
大洗海岸の松林の中に、暮鳥の詩碑があります。詩集『雲』の中の「ある時」という題の詩です。書は、小川芋銭。昭和2年建碑。
雲もまた自分のやうだ
自分のやうに
すつかり途方にくれてゐるのだ
あまりにあまりにひろすぎる
涯のない蒼空なので
おう老子よ
こんなときだ
にこにことして
ひよつこりとでてきませんか
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8. |
東海村にある村松虚空蔵尊の奥の院の西側に、昭和52年に建てられた暮鳥の詩碑があります。暮鳥の死後に出版された詩集『土の精神』の中の詩「黒い土」の一節が、室生犀星の書によって刻されています。
おう土よ生けるものよ
その黒さに太古のかほ
りがただよつてゐる
録暮鳥詩犀星
昭和十四深秋
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9. |
水戸市松本町の保和苑に、平成15年秋11月に建てられた詩碑があります。詩は、『雲』という詩集から採られた「梅」という題の詩です。 (詩集には、「梅」という題の詩の次に、「おなじく」という題で載っています。)
梅
山 村 暮 鳥
おい、そつと
そつと
しづかに
梅の匂ひだ
この詩の副碑には、次のように記されています。
山村暮鳥 (一八八四〜一九二四) 詩人
「おうい雲よ / ゆうゆうと / 馬鹿にのんきさ
うぢやないか / どこまでゆくんだ / ずつと磐
城平の方までゆくんか」などの詩を含む詩集
「雲」は、暮鳥の最後の詩集。 「梅」も同詩
集にある。碑文は自筆原稿から。
暮鳥は一九〇四年以降、伝道師として三回に
わたって水戸に住み、文学運動にも関わった。
詩集「三人の処女」「風は草木にささやいた」
に水戸時代の作品が収められている。
大洗町が終焉の地。墓はこの谷を隔てた「江
林寺墓地」(祇園寺管理)にある。
二〇〇三年十一月二十三日
山村暮鳥詩碑建立実行委員会
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10. |
詩集『雲』の中から、よく知られている詩を三つほど。詩集『雲』は注4に記したように、青空文庫で読むことができます。(→『雲』)
春 の 河
たつぷりと
春の河は
ながれてゐるのか
ゐないのか
ういてゐる
藁くづのうごくので
それとしられる
雲
丘の上で
としよりと
こどもと
うつとりと雲を
ながめてゐる
お な じ く
おうい雲よ
ゆうゆうと
馬鹿にのんきさうぢやないか
どこまでゆくんだ
ずつと磐城平(いはきたひら)の方までゆくんか
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11. |
『レファレンス協同データベース』に「福島県の平で出版された同人雑誌『みみずく』に掲載されている山村
暮鳥、草野新平、恩地孝四郎らの詩や文章などの全てを入手したい」という質問と、それに対する回答が出ていますので、参考までにご紹介します。
→『レファレンス協同データベース』(N509-287) |
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