資料160 蓮如「白骨の御文章」(「白骨の御文」)




         白骨ノ御文章     蓮如兼壽

  
(ソレ)人間(ニンケン)ノ浮生(フシヤウ)ナル相(サウ)ヲツラツラ觀(クワン)スルニオホヨソハカナキモノハコノ世(ヨ)ノ始中終(シチウシユ)マホロシノコトクナル一期(井チコ)ナリサレハイマタ万歳(マンサイ)ノ人身(ニンシン)ヲウケタリトイフ事(コト)ヲキカス一生(井チシヤウ)スキヤスシイマニイタリテタレカ百年(ヒヤク子ン)ノ形躰(キヤウタイ)ヲタモツヘキヤ我(ワレ)ヤサキ人(ヒト)ヤサキケフトモシラスアストモシラスヲクレサキタツ人(ヒト)ハモトノシツクスヱノ露(ツユ)ヨリモシケシトイヘリサレハ朝(アシタ)ニハ紅顔(コウカン)アリテ夕(ユフヘ)ニハ白骨(ハクコチ)トナレル身(ミ)ナリステニ无常(ムシヤウ)ノ風(カセ)キタリヌレハスナハチフタツノマナコタチマチニトチヒトツノイキナカクタエヌレハ紅顔(コウカン)ムナシク變(ヘン)シテ桃李(タウリ)ノヨソホヒヲウシナヒヌルトキハ六親眷屬(ロクシンケンソク)アツマリテナケキカナシメトモ更(サラ)ニソノ甲斐(カヒ)アルヘカラスサテシモアルヘキ事(コト)ナラ子ハトテ野外(ヤクワイ)ニヲクリテ夜半(ヨハ)ノケフリトナシハテヌレハタヽ白骨(ハクコチ)ノミソノコレリアハレトイフモ中(ナカ)々ヲロカナリサレハ人間(ニンケン)ノハカナキ事(コト)ハ老少不定(ラウセウフチヤウ)ノサカヒナレハタレノ人(ヒト)モハヤク後生(コシヤウ)ノ一大事(井チタイシ)ヲ心(コヽロ)ニカケテ阿彌陀佛(ワアミタフチ)ヲフカクタノミマイラセテ念佛(子ムフチ)マウスヘキモノナリアナカシコアナカシコ
 
    出典:『御文章』(兼寿著、京都護法館、明治44年2月発行)


 ○ 次に、上の本文を普通の表記の文章にしてみます。

白骨の御文章
それ、人間の浮生(ふしょう)なる相(そう)をつらつら観(かん)ずるに、おほよそはかなきものはこの世の始中終(しちゅうじゅう)、幻(まぼろし)のごとくなる一期(いちご)なり。されば、いまだ万歳(まんざい)の人身(にんじん)を受けたりといふことを聞かず。一生過ぎやすし。今に至りて誰(たれ)か百年の形体(ぎょうたい)を保つべきや。我や先、人や先、今日とも知らず、明日(あす)とも知らず。遅れ先だつ人は本(もと)の雫(しずく)末(すえ)の露よりも繁(しげ)しといへり。されば、朝(あした)には紅顔(こうがん)ありて夕(ゆうべ)には白骨(はっこつ)となれる身なり。すでに無常の風来(きた)りぬれば、すなはち二つのまなこたちまちに閉ぢ、一つの息ながく絶えぬれば、紅顔むなしく変じて桃李(とうり)のよそほひを失ひぬるときは、六親眷属(ろくしんけんぞく)集まりて嘆き悲しめども、さらにその甲斐(かい)あるべからず。さてしもあるべきことならねばとて、野外に送りて夜半(よわ)の煙(けぶり)となしはてぬれば、ただ白骨のみぞ残れり。あはれといふもなかなかおろかなり。されば、人間のはかなきことは老少不定(ろうしょうふじょう)のさかひなれば、誰(たれ)の人も早く後生(ごしょう)の一大事を心にかけて、阿弥陀仏(あみだぶつ)を深く頼みまゐらせて、念仏申すべきものなり。あなかしこ、あなかしこ。



  (注) 1.  上記の「白骨ノ御文章」の本文は、『国立国会図書館デジタルコレクション』所収の『御文章』(兼寿著、京都護法館、明治44年2月20日発行)によりました。
 『御文章』の 223左-225右 / 235。
   『国立国会図書館デジタルコレクション』
 → 「御文章」と入力して検索
 → 「御文章/兼寿著、護法館、明治44年
     (223左-225右/ 235) 
  
 『国立国会図書館デジタルコレクション』では、「御文章」「御文」についてのいろいろな書物が見られます。
   
    2.   平仮名の「く」を縦に長くのばした形の繰り返し符号は、文字の繰り返し及び「々」に置き換えました。(「ツラツラ」「中々」「アナカシコアナカシコ」)    
    3.  漢字の振り仮名(ルビ)は、括弧 (  ) によって示しました。    
    4.   この「白骨の御文章」(「白骨の御文」「白骨の章」)は、5帖目の第16通です。
 なお、「御文章」(ごぶんしょう)は本願寺派での呼称で、大谷派では「御文」(おふみ)と称しているそうです。
   
    5.   蓮如(れんにょ)=室町時代、浄土真宗中興の祖。諱(いみな)は兼寿。本願寺8世。比叡山衆徒の襲撃に遭い、京都東山大谷を出て1471年(文明3)越前吉崎に赴き、北陸地方を教化。さらに山科・石山に本願寺を建立、本願寺を真宗を代表する強大な宗門に成長させた。「正信偈(しょうしんげ)大意」「御文(おふみ)」「領解文」など布教のための著が多い。諡号(しごう)は慧灯大師。(1415~1499) (『広辞苑』第6版による)    
    6.  〇御文章(ごぶんしょう)=蓮如が浄土真宗の教義を平易にしたためて門徒に与えた書簡を編んだもの。5帖80通より成る。本願寺派での呼称で、大谷派では「御文(おふみ)」と称する。五帖消息。 (『広辞苑』第6版による)
 〇御文(おふみ)=「御文章」「蓮如上人御文」「五帖消息」「宝章」ともいう。5帖。浄土真宗本願寺8世蓮如兼寿の消息集。1461-98(寛正2-明応7)の約260通の文のうちから孫円如が80通を選出し、天文年間(1532-54)証如が「御文」と名づけ出版。浄土真宗の信仰のほか、一向一揆の時期の政治的駆け引きにも触れる好史料。〔蓮如上人全集・新修大蔵経〕  (『角川日本史辞典』第2版(昭和41年12月20日初版発行、昭和49年12月25日第2版初版発行)による)        
   
    7.   『浄土真宗聖典』註釈版、第二版(1988年初版、2004年第2版。本願寺出版社発行)があって、参考になります。    
    8.   講談社学術文庫に『蓮如「御文」読本』(大谷暢順著、2001年3月10日発行)があり、5帖目から御文10通を取り上げて読み解いています。「白骨の章」も取り上げてあります。(5帖目第10、11、13、14、15、16、17、18、19、21通の10通)
 なお、同じ講談社学術文庫に、同じ著者による全訳注『蓮如・空善聞書』があります。これは、上人の身辺に近侍していた法専坊空善が、蓮如晩年の姿と弟子たちに語りかけた教えを記録したもので、隠居後も変わらぬ布教への情熱、門下への思いやり等々、等身大の蓮如像を現代に伝える言行録の初の注釈書とのことです。
   
    9.  『真宗大谷派東本願寺』のホームページに、「御文(おふみ)」について簡潔に説明したページがあります。 
 『真宗大谷派東本願寺』 
  → 「浄土真宗の教え」
  → 「親鸞聖人の生涯」(ここに「御文(おふみ)」についての簡潔な説明があります。)
   
    10.   日本思想大系17『蓮如  一向一揆』(岩波書店、1972年9月25日第1刷発行)に、近江八幡市広済寺蔵「実如直筆御支証判五帖一部」(伊藤義賢編、興教書院刊複製本「実如上人御真筆五帖一部御文章」)を底本とした帖内御文40通と、大谷大学図書館蔵写本「名塩教行寺御文」を底本とした38通、計78通の『御文』(『御文章』)が収められています。    
    11.  NHK・TV『その時歴史が動いた』で、平成19年6月20日(水)、第293回「乱世に祈りを~蓮如・理想郷の建設~」が放送されました。    
           




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