資料155 夏目漱石の講演「現代日本の開化」


 

 

      現代日本の開化                  夏 目  漱 石

                
──明治44年8月和歌山に於て述──

 
甚だお暑いことで、斯う暑くては多人數お寄合ひになつて演説などお聽きになるのは定めしお苦しいだらうと思ひます。殊に承れば昨日も何か演説會があつたさうで、さう同じ催しが續いてはいくら中らない保證のあるものでも多少は流行過(はやりすぎ)の氣味で、お聽きになるのも餘程御困難だらうと御察し申します。が演説をやる方の身になつて見てもさう樂ではありません。殊に只今牧君の紹介で漱石君の演説は迂餘曲折の妙があるとか何とかいふ廣告めいた贊辭を頂戴した後に出て同君の吹聽通りを遣らうとすると恰も迂餘曲折の妙を極める爲の藝當を御覽に入れる爲に登壇したやうなもので、苟も其妙を極めなければ降りることが出來ないやうな氣がして、いやが上に遣りにくい羽目に陷つて仕舞ふ譯であります。實は此處へ出て參る前一寸先番の牧君に相談を掛けた事があるのです。是は内々ですが思ひ切つて打明けて御話しゝて仕舞ひます。と云ふ程の秘密でもありませんが、全くの所今日の講演は長時間諸君に對して御話をする材料が不足のやうな氣がしてならなかつたから、牧さんにあなたの方は少しは伸ばせますかと聞いたのです。すると牧君は自分の方は伸ばせば幾らでも伸びると氣丈夫な返事をして呉れたので、忽ち親船に乘つたやうな心持になつて、それぢや少し伸ばして戴きたいと頼んで置きました。其の結果として冒頭だか序論だかに私の演説の短評を試みられたのはもともと私の注文から出た事で甚だ有難いには違ないけれども、其代り厭に遣り惡くなつて仕舞つた事も亦爭はれない事實です。元來がさう云ふ情ない依頼を敢てする位ですから曲折どころではない、眞直(まつすぐ)に行き當つてピタリと終(しま)ひになるべき演説であります。なかなかもつて抑揚頓挫波瀾曲折の妙を極めるだけの材料抔は藥にしたくも持合せて居りません。とさう言つた所で何も唯ボンヤリ演壇に登つた譯でもないので、此處へ出て來る丈の用意は多少準備して參つたには違ないのです。尤も私が此和歌山へ參るやうになつたのは當初からの計畫ではなかつたのですが、私の方で近畿地方を所望したので社の方では和歌山を其中(うち)へ割り振つて呉れたのです。御蔭で私もまだ見ない土地や名所抔を搜る便宜を得ましたのは好都合です。其序に演説をする──のではない演説の序に玉津島だの紀三井寺抔を見た譯でありますから此等の故跡や名勝に對しても空手(からて)では參れません。御話をする題目はちやんと東京表で極めて參りました。
 其題目は「現代日本の開化」と云ふので、現代と云ふ字は下へ持つて來ても上へ持つて來ても同じ事で、「現代日本の開化」でも「日本現代の開化」でも大して私の方では構ひません。「現代」と云ふ字があつて「日本」と云ふ字があつて「開化」と云ふ字があつて、其の間へ「の」の字が入
(はい)つて居ると思へば夫丈の話です。何の雜作もなく唯だ現今の日本の開化と云ふ、斯う云ふ簡單なものです。其開化をどうするのだと聞かれゝば、實は私の手際ではどうも仕樣がないので、私はたゞ開化の説明をして後はあなた方の御高見に御任せする積であります。では開化を説明して何になる? と斯う御聞きになるかも知れないが、私は現代の日本の開化といふ事が諸君によく御分りになつて居るまいと思ふ。御分りになつて居なからうと思ふと云ふと失禮ですけれども、どうもこれが一般の日本人に能く呑み込めて居ない樣に思ふ。私だつて夫程分つても居ないのです。けれどもまづ諸君よりもそんな方面に餘計頭を使ふ餘裕のある境遇に居りますから、斯ういふ機會を利用して自分の思つた所丈をあなた方に聞いて頂かうといふのが主眼なのです。どうせあなた方も私も日本人で、現代に生れたもので、過去の人間でも未來の人間でも何でもない上に現に開化の影響を受けて居るのだから、現代と日本と開化と云ふ三つの言葉は、どうしても諸君と私とに切つても切れない離すべからざる密接な關係があるのは分り切つた事ですが、夫にも拘らず、御互に現代の日本の開化に就て無頓着であつたり、又は餘りハツキリした理會を有つてゐなかつたならば、萬事に勝手が惡い譯だから、まあ互に研究もし、又分る丈は分らせて置く方が都合が好からうと思ふのであります。それに就ては少し學究めきますが、日本とか現代とかいふ特別な形容詞に束縛されない一般の開化から出立して其性質を調べる必要があると考へます、御互ひに開化と云ふ言葉を使つて居つて、日に何遍も繰返して居るけれども、果して開化とはどんなものだと煎じ詰めて聞き糾されて見ると、今迄互に了解し得たと許り考へて居た言葉の意味が存外喰違つて居たり或は以ての外に漠然と曖昧であつたりするのはよく有る事だから私は先づ開化の定義から極めて懸りたいのです。
 尤も定義を下すに就ては餘程氣を付けないと飛んでもない事になる。之をむづかしく言ひますと、定義を下せば其定義の爲に定義を下されたものがピタリと糊細工の樣に硬張
(こはば)つてしまふ。複雜な特性を簡單に纏める學者の手際と腦力とには敬服しながらも一方に於て其迂闊を惜まなければならない樣な事が彼等の下した定義を見るとよくあります。其弊所を極(ごく)分り易く一口に御話すれば生きたものを故(わざ)と四角四面の棺の中へ入れて殊更に融通が利かない樣にするからである。尤も幾何學抔で中心から圓周に到る距離が悉く等しいものを圓と云ふといふ樣な定義はあれで差支ない、定義の便宜があつて弊害のない結構なものですが、是は實世間に存在する圓いものを説明すると云はんより寧ろ理想的に頭の中にある圓といふものを斯く約束上取り極めた迄であるから古往今來變りつこないので何處迄も此定義一點張りで押して行かれるのです。其他四角だらうが三角だらうが幾何的に存在して居る限りは夫々の定義で一旦纏めたら決して動かす必要もないかも知れないが、不幸にして現實世(よ)の中(なか)にある圓とか四角とか三角とかいふもので過去現在未來を通じて動かないものは甚だ少ない。ことに夫自身に活動力を具へて生存するものには變化消長が何處迄も付け纏つて居る。今日の四角は明日の三角にならないとも限らないし、明日の三角が又いつ圓く崩れ出さないとも云へない。要するに幾何學の樣に定義があつて其定義から物を拵へ出したのでなくつて、物があつて其物を説明する爲に定義を作るとなると勢ひ其物の變化を見越してその意味を含ましたものでなければ所謂杓子定規とかで一向氣の利かない定義になつて仕舞ひます。丁度汽車がゴーツと馳けて來る、其運動の一瞬間即ち運動の性質の最も現はれ惡(にく)い刹那の光景を寫眞に取つて、是が汽車だ汽車だと云つて恰も汽車の凡てを一枚の裏(うち)に寫し得た如く吹聽すると一般である。成程何處から見ても汽車に違ありますまい。けれども汽車に見逃してはならない運動といふものが此寫眞のうちには出てゐないのだから實際の汽車とは到底比較の出來ない位懸絶してゐると云はなければなりますまい。御存じの琥珀と云ふものがありませう。琥珀の中に時々蠅が入(はい)つたのがある。透かして見ると蠅に違ありませんが、要するに動きの取れない蠅であります。蠅でないとは言へぬでせうが活きた蠅とは云へますまい。學者の下す定義には此寫眞の汽車や琥珀の中の蠅に似て鮮かに見えるが死んでゐると評しなければならないものがある。夫で注意を要するといふのであります。つまり變化をするものを捉へて變化を許さぬかの如くピタリと定義を下す。巡査と云ふものは白い服を着てサーベルを下げて居るものだ抔と天から極められた日には巡査も遣り切れないでせう。家(うち)へ歸つて浴衣(ゆかた)も着換へる譯に行かなくなる。此の暑いのに劒ばかり下げて居なければ濟まないのは可哀想だ。騎兵とは馬に乘るものである。是も御尤もには違ないが、幾ら騎兵だつて年が年中馬に乘りつゞけに乘つて居る譯にも行かないぢやありませんか。少しは下りたいでさ。斯う例を擧げれば際限がないから好(いゝ)加減に切り上げます。實は開化の定義を下す御約束をして喋舌(しやべ)つてゐた處が何時の間にか開化はそつち退けになつて六づかしい定義論に迷ひ込んで甚だ恐縮です。が此位注意をした上でさて開化とは何者だと纏めて見たら幾分か學者の陷り易い弊害を避け得られるし又其便宜をも受ける事が出來るだらうと思ふのです。
 で愈開化に出戻りを致しますが、開化と云ふものも、汽車とか蠅とか巡査とか騎兵とか云ふやうなものゝ如くに動いて居る。それで開化の一瞬間を取つてカメラにピタリと入れて、さうして是が開化だと提げて歩く譯には行きません。私は昨日和歌の浦を見物しましたが、あすこを見た人のうちで和歌の浦は大變浪の荒い所だと云ふ人がある。かと思ふと非常に靜かな所だと云ふ人もある。どつちが宜いのか分らない。段々聞いて見ると、一方は浪の非常に荒い時に行き、一方は非常に靜かな時に行つた違から話がかう表裏して來たのである。固より見た通なんだから兩方とも嘘ではない。が又兩方とも本當でもない。是に似寄りの定義は、あつても役に立たぬことはない。が、役に立つと同時に害を爲す事も明かなんだから、開化の定義と云ふものも、可成
(なるべく)はさう云ふ不都合を含んでゐない樣に致したいのが私の希望であります。が、さうするとボンヤリして來る。恨むらくはボンヤリして來る。けれどもボンヤリしても外のものと區別が出來ればそれで宜いでせう。さつき牧君の紹介があつた樣に夏目君の講演は其文章の如く時とすると門口から玄關へ行く迄にうんざりする事があるさうで誠に御氣の毒の話だが、成程遣つて見ると其通り、是で漸く玄關迄着きましたから思ひきつて本當の定義に移りませう。
 開化は人間活力の發現の經路である。と私は斯う云ひたい。私許ぢやない、あなた方だつてさういふでせう。尤もさう云つた所で別に書物に書いてある譯でも何でもない、私がさう言ひたい迄の事であるが其代り珍らしくも何ともない。が是れ頗る漠然として居る。前口上を長々述べ立てた後で此位の定義を御吹聽に及んだ丈では餘り人を馬鹿にしてゐるやうですが、まあ其處から定めて掛らないと曖昧になるから、實は已を得ないのです。それで人間の活力と云ふものが今申す通り時の流を沿うて發現しつゝ開化を形造つて行くうちに私は根本的に性質の異つた二種類の活動を認めたい、否確かに認めるのであります。
 其二通りのうち一つは積極的のもので、一つは消極的のものである。何か月並の樣な講釋をして濟みませんが、人間活力の發現上積極的と云ふ言葉を用ひますと、勢力の消耗を意味する事になる。又もう一つの方は是とは反對に勢力の消耗を出來る丈防がうとする活動なり工夫なりだから前のに對して消極的と申したのであります。此二つの互ひに喰違つて反
(そり)の合はないやうな活動が入り亂れたりコンガラカツたりして開化と云ふものが出來上るのであります。是でもまだ抽象的で能くお分りにならないかも知れませんが、もう少し進めば私の意味は自ら明瞭になるだらうと信じます。元來人間の命(いのち)とか生(せい)とか稱するものは解釋次第で色々な意味にもなり又六づかしくもなりますが要するに前(ぜん)申した如く活力の示現とか進行とか持續とか評するより外に致し方のない者である以上、此活力が外界の刺戟に對してどう反應するかといふ點を細かに觀察すればそれで吾人人類の生活状態も略了解が出來る樣な譯で、其生活状態の多人數の集合して過去から今日に及んだものが所謂開化に外ならないのは今更申上げる迄もありますまい。偖吾々の活力が外界の刺戟に反應する方法は刺戟の複雜である以上固より多趣多樣千差萬別に違ないが、要するに刺戟の來るたびに吾が活力を成るべく制限節約して出來る丈使ふまいとする工夫と、又自ら進んで適意の刺戟を求め能ふ丈の活力を這裏に消耗して快を取る手段との二つに歸着して仕舞ふやう私は考へてゐるのであります。で前のを便宜のため活力節約の行動と名づけ後者をかりに活力消耗の趣向とでも名づけて置きませうが、此活力節約の行動はどんな場合に起るかと云へば現代の吾々が普通用ひる義務といふ言葉を冠して形容すべき性質の刺戟に對して起るのであります。從來の德育法及び現今とても敎育上では好んで義務を果す敢爲邁往の氣象を獎勵する樣ですが是は道德上の話で道德上しかなくてはならぬ若しくはしかする方が社會の幸福だと云ふ迄で、人間活力の示現を觀察して其組織の經緯一つを司どる大事實から云へば何うしても今私が申上げた樣に解釋するより外仕方がないのであります。吾々もお互に義務は盡さなければならんものと始終思ひ、又義務を盡した後は大變心持が好いのであるが、深く其裏面に立ち入つて内省して見ると、願くは此義務の束縛を免かれて早く自由になりたい、人から強ひられて已を得ずする仕事は出來る丈分量を壓搾して手輕に濟ましたいといふ根性が常に胸の中(うち)に付け纏つてゐる。其根性が取も直さず活力節約の工夫となつて開化なるものゝ一大原動力を構成するのであります。
 斯く消極的に活力を節約しやうとする奮闘に對して一方では又積極的に活力を任意隨所に消耗しやうといふ精神が又開化の一半を組み立てゝ居る。其發現の方法も亦世が進めば進む程複雜になるのは當然であるが、之を極
(ごく)(つゞ)めてどんな方面に現はれるかと説明すれば先づ普通の言葉で道樂といふ名のつく刺戟に對し起るものだとして仕舞へば一番早分りであります。道樂と云へば誰も知つてゐる。釣魚(つり)をするとか玉を突くとか、碁を打つとか、又は鐵砲を擔いで獵に行くとか、いろいろのものがありませう。是等は説明するがものはない悉く自から進んで強ひられざるに自分の活力を消耗して嬉しがる方であります。尚進んでは此精神が文學にもなり科學にもなり又は哲學にもなるので、一寸見ると甚だ六づかしげなものも皆道樂の發現に過ぎないのであります。
 此二樣の精神即ち義務の刺戟に對する反應としての消極的な活力節約と又道樂の刺戟に對する反應としての積極的な活力消耗とが互に竝び進んで、コンガラカツて變化して行つて、此複雜極りなき開化と云ふものが出來るのだと私は考へてゐます。其結果は現に吾々が生息してゐる社會の實況を目撃すればすぐ分ります。活力節約の方から云へば出來るだけ勞働を少なくして可成
(なるべく)僅かな時間に多くの働きをしやうしやうと工夫する。其の工夫が積り積つて汽車汽船は勿論電信電話自動車大變なものになりますが、元を糾せば面倒を避けたい横着心の發達した便法に過ぎないでせう。此和歌山市から和歌の浦迄一寸使ひに行つて來いと言はれた時に、出來得るなら誰しも御免蒙りたい。がどうしても行かなければならないとすれば可成(なるべく)樂に行きたい、さうして早く歸りたい。出來る丈身體(からだ)は使ひ度ない。其所で人力車も出來なければならない譯になります。其上に贅澤を云へば自轉車にするでせう。尚我儘を云ひ募れば是が電車にも變化し自動車又は飛行器にも化けなければならなくなるのは自然の數であります。是に反して電車や電話の設備があるにしても是非今日は向ふ迄歩いて行きたいと云ふ道樂心の増長する日も年に二度や三度は起らないとも限りません。好んで身體を使つて疲勞を求める。吾々が毎日やる散歩といふ贅澤も要するに此活力消耗の部類に屬する積極的な命の取扱方の一部分なのであります。が此の道樂氣の増長した時に幸に行つて來いといふ命令が下れば丁度好いが、まあ大抵はさう旨くは行かない。云ひ付かつた時は多く歩きたくない時である。だから歩かないで用を足す工夫をしなければならない。となると勢ひ訪問が郵便になり、郵便が電報になり、其電報が又電話になる理窟です。詰る所は人間生存上の必要上何か仕事をしなければならないのを、ならう事ならしないで用を足してさうして滿足に生きてゐたいといふ我儘な了簡、と申しませうか又はさうさう身を粉にしてまで働いて生きてゐるんぢや割に合はない、馬鹿にするない冗談ぢやねえといふ發憤の結果が怪物の樣に辣腕な器械力と豹變したのだと見れば差支ないでせう。
 此怪物の力で距離が縮まる、時間が縮まる、手數が省ける、凡て義務的の勞力が最少低額に切詰められた上に又切詰められて何處迄押して行くか分らないうちに、彼の反對の活力消耗と名づけて置いた道樂根性の方も亦自由我儘の出來る限りを盡して、是亦瞬時の絶間なく天然自然と發達しつゝ留め度
(ど)もなく前進するのである。此道樂根性の發展も道德家に言はせると怪(け)しからんとか言ひませう。が夫は德義上の問題で事實上の問題にはなりません。事實の大局から云へば活力を吾好む所に消費するといふ此工夫精神は二六時中休みつこなく働いて、休みつこなく發展してゐます。元々社會があればこそ義務的の行動を餘儀なくされる人間も放り出して置けば何處迄も自我本位に立脚するのは當然だから自分の好(す)いた刺戟に精神なり身體なりを消費しやうとするのは致し方もない仕儀である。尤も好いた刺戟に反應して自由に活力を消耗すると云つたつて何も惡い事をするとは限らない。道樂だつて女を相手にする許が道樂ぢやない。好きな眞似をするとは開化の許す限りのあらゆる方面に亙(わた)つての話であります。自分が畫がかきたいと思へば出來る丈畫ばかりかゝうとする。本が讀みたければ差支ない以上本ばかり讀まうとする。或は學問が好だと云つて、親の心も知らないで、書齋へ入(はい)つて靑くなつて居る子息(むすこ)がある。傍から見れば何の事か分らない。親父が無理算段の學資を工面して卒業の上は月給でも取らせて早く隱居でもしたいと思つてゐるのに、子供の方では活計(くらし)の方なんか丸で無頓着で、たゞ天地の眞理を發見したい抔と太平樂を竝べて机に靠れて苦(にが)り切つてゐるのもある。親は生計の爲の修業と考へてゐるのに子供は道樂の爲の學問とのみ合點してゐる。斯う云ふ樣な譯で道樂の活力は如何なる道德學者も杜絶する譯にいかない。現に其の發現は世の中にどんな形になつて、どんなに現れて居るかと云ふことは、此競爭劇甚の世に道樂なんどとてんで其存在の權利を承認しない程家業に勵精な人でも少し注意されゝば肯定しない譯に行かなくなるでせう。私は昨晩和歌の浦へ泊りましたが、和歌の浦へ行つて見ると、さがり松だの權現樣だの紀三井寺だのいろいろのものがありますが、其中に東洋第一海拔二百尺と書いたエレヹーターが宿の裏から小高い石山の巓(いたゞき)へ絶えず見物を上げたり下げたりしてゐるのを見ました。實は私も動物園の熊の樣にあの鐵の格子の檻の中に入(はい)つて山の上へ上げられた一人であります。があれは生活上別段必要のある場所にある譯でもなければ又夫程大切な器械でもない、まあ物數奇である。唯上つたり下つたりする丈である。疑もなく道樂心の發現で、好奇心兼廣告欲も手傳つてゐるかも知れないが、まあ活計向(くらしむき)とは關係の少ないものです。これは一例ですが開化が進むにつれて斯う云ふ贅澤なものゝ數が殖えて來るのは誰でも認識しない譯に行かないでせう。加之此贅澤が日に増し細かくなる。大きなものゝ中に輪が幾つも出來て漏斗(じやうご)みた樣に段々深くなる。と同時に今迄氣の付かなかつた方面へ段々發展して範圍が年々廣くなる。
 要するに只今申し上げた二つの入り亂れたる經路、即ち出來るだけ勞力を節約したいと云ふ願望から出て來る種々の發明とか器械力とか云ふ方面と、出來るだけ氣儘に勢力を費したいと云ふ娯樂の方面、是が經となり緯となり千變萬化錯綜して現今の樣に混亂した開化と云ふ不可思議な現象が出來るのであります。
 そこでさう云ふものを開化とすると、茲に一種妙なパラドツクスとでも云ひませうか、一寸聞くと可笑しいが、實は誰しも認めなければならない現象が起ります。元來何故人間が開化の流れに沿うて、以上二種の活力を發現しつゝ今日に及んだかと云へば生れながらさう云ふ傾向を有つて居ると答へるより外に仕方がない。之を逆に申せば吾人の今日あるは全く此の本來の傾向あるがために外ならんのであります。猶進んで云ふと元の儘で懷手をしてゐては生存上どうしても遣り切れぬから、夫れから夫れへと順々に押され押されて斯く發展を遂げたと言はなければならないのです。して見れば古來何千年の勞力と歳月を擧げて漸くの事現代の位置迄進んで來たのであるからして、苟くも此二種類の活力が上代から今に至る長い時間に工夫して得た結果として昔よりも生活が樂になつてゐなければならない筈であります。けれども實際は何うか? 打明けて申せば御互の生活は甚だ苦しい。昔の人に對して一歩も讓らざる苦痛の下に生活してゐるのだと云ふ自覺が御互にある。否開化が進めば進む程競爭が益劇しくなつて生活は愈困難になるやうな氣がする。成程以上二種の活力の猛烈な奮鬪で開化は贏ち得たに相違ない。然し此開化は一般に生活の程度が高くなつたといふ意味で、生存の苦痛が比較的柔げられたといふ譯ではありません。丁度小學校の生徒が學問の競爭で苦しいのと、大學の學生が學問の競爭で苦しいのと、其の程度は違ふが、比例に至つては同じことである如く、昔の人間と今の人間がどの位幸福の程度に於て違つて居るかと云へば──或は不幸の程度に於て違つて居るかと云へば──活力消耗活力節約の兩工夫に於て大差はあるかも知れないが、生存競爭から生ずる不安や努力に至つては決して昔より樂になつてゐない。否昔より却つて苦しくなつゐるかも知れない。昔は死ぬか生きるかの爲に爭つたものである。夫丈の努力を敢てしなければ死んで仕舞ふ。已むを得ないからやる。加之道樂の念は兎に角道樂の途はまだ開けて居なかつたから、斯うしたい、あゝしたいと云ふ方角も程度も至つて微弱なもので、たまに足を伸したり手を休めたりして、滿足してゐた位のものだらうと思はれる。今日は死ぬか生きるかの問題は大分超越してゐる。それが變化して寧ろ生きるか生きるかと云ふ競爭になつて仕舞つたのであります。生きるか生きるかと云ふのは可笑しうございますが、Aの状態で生きるかBの状態で生きるかの問題に腐心しなければならないといふ意味であります。活力節減の方で例を引いてお話をしますと、人力車を挽いて渡世にするか、又は自動車のハンドルを握つて暮すかの競爭になつたのであります。どつちを家業にしたつて命に別條はないに極つてゐるが、どつちへ行つても勞力は同じだとは云はれません。人力車を挽く方が汗が餘程多分に出るでせう。自動車の御者になつてお客を乘せれば──尤も自動車を有つ位ならお客を乘せる必要もないが──短い時間で長い所が走れる。糞力
(くそぢから)はちつとも出さないで濟む。活力節約の結果樂に仕事が出來る。されば自動車のない昔はいざ知らず、苟くも發明される以上人力車は自動車に負けなければならない。負ければ追付かなければならない。と云ふ譯で、少しでも勞力を節減し得て優勢なるものが地平線上に現はれて茲に一つの波瀾を誘ふと、丁度一種の低氣壓と同じ現象が開化の中に起つて、各部の比例がとれ平均が囘復される迄は動搖して已められないのが人間の本來であります。積極的活力の發現の方から見ても此波動は同じことで、早い話が今までは敷島か何か吹かして我慢して居つたのに、隣りの男が旨さうに埃及煙草を喫(の)んで居ると矢つ張りそつちが喫みたくなる。又喫んで見れば其の方が旨いに違ない。仕舞には敷島などを吹かすものは人間の數へ入(はい)らないやうな氣がして、どうしても埃及へ喫み移らなければならぬと云ふ競爭が起つて來る。通俗の言葉で云へば人間が贅澤になる。道學者は倫理的の立場から始終奢侈を戒しめてゐる。結構には違ないが自然の大勢に反した訓戒であるから何時でも駄目に終るといふ事は昔から今日迄人間がどの位贅澤になつたか考へて見れば分る話である。斯く積極消極兩方面の競爭が激しくなるのが開化の趨勢だとすれば、吾々は長い時日のうちに種々樣々の工夫を凝し智慧を絞つて漸く今日迄發展して來たやうなものゝ、生活の吾人の内生に與へる心理的苦痛から論ずれば今も五十年前も又は百年前も、苦しさ加減の程度は別に變りはないかも知れないと思ふのです。それだからして此位勞力を節減する器械が整つた今日でも、又活力を自由に使ひ得る娯樂の途が備つた今日でも生存の苦痛は存外切(せつ)なもので或は非常といふ形容詞を冠らしても然るべき程度かも知れない。是程勞力を節減出來る時代に生れても其忝(かたじ)けなさが頭に應(こた)へなかつたり、是程娯樂の種類や範圍が擴大されても全く其有難味が分らなかつたりする以上は苦痛の上に非常といふ字を附加しても好いかも知れません。是が開化の産んだ一大パラドツクスだと私は考へるのであります。
 これから日本の開化に移るのですが、果して一般的の開化がそんなものであるならば、日本の開化も開化の一種だからそれで宜からうぢやないかで此講演は濟んで仕舞ふ譯であります。が其處に一種特別な事情があつて、日本の開化はさういかない。何故さうは行かないか。夫れを説明するのが今日の講演の主眼である。と申すと玄關を上つて漸く茶の間あたりへ來た位の氣がして驚くでせう。然しさう長くはありません、奥行は存外短かい講演です。やつてる方だつて長いのは疲れますから出來る丈勞力節約の法則に從つて早く切り上げる積ですから、もう少し辛抱して聽いて下さい。
 それで現代の日本の開化は前に述べた一般の開化と何處が違ふかと云ふのが問題です。若し一言にして此問題を決しやうとするならば私はかう斷じたい、西洋の開化(即ち一般の開化)は内發的であつて、日本の現代の開化は外發的である。こゝに内發的と云ふのは内から自然に出て發展すると云ふ意味で丁度花が開くやうにおのづから蕾が破れて花瓣が外に向ふのを云ひ、又外發的とは外からおつかぶさつた他の力で已むを得ず一種の形式を取るのを指した積なのです。もう一口説明しますと、西洋の開化は行雲流水の如く自然に働いてゐるが、御維新後外國と交渉を付けた以後の日本の開化は大分勝手が違ひます。勿論何處の國だつて隣づき合がある以上は其影響を受けるのが勿論の事だから吾日本と雖も昔からさう超然として只自分丈の活力で發展した譯ではない。ある時は三韓又或時は支那といふ風に大分外國の文化にかぶれた時代もあるでせうが、長い月日を前後ぶつ通しに計算して大體の上から一瞥して見るとまあ比較的内發的の開化で進んで來たと云へませう。少なくとも鎖港排外の空氣で二百年も麻醉した揚句突然西洋文化の刺戟に跳ね上つた位強烈な影響は有史以來まだ受けてゐなかつたと云ふのが適當でせう。日本の開化はあの時から急劇に曲折し始めたのであります。又曲折しなければならない程の衝撃を受けたのであります。之を前の言葉で表現しますと、今迄内發的に展開して來たのが、急に自己本位の能力を失つて外から無理押しに押されて否應
(いやおう)なしに其云ふ通りにしなければ立ち行かないといふ有樣になつたのであります。夫が一時ではない。四五十年前に一押し押されたなりじつと持ち應(こた)へてゐるなんて樂(らく)な刺戟ではない。時々に押され刻々に押されて今日に至つた許りでなく向後何年の間か、又は恐らく永久に今日の如く押されて行かなければ日本が日本として存在出來ないのだから外發的といふより外に仕方がない。其理由は無論明白な話で、前(ぜん)詳しく申上げた開化の定義に立戻つて述べるならば、吾々が四五十年前始めて打(ぶ)つかつた、又今でも接觸を避ける譯に行かないかの西洋の開化といふものは我々よりも數十倍勞力節約の機關を有する開化で、又我々よりも數十倍娯樂道樂の方面に積極的に活力を使用し得る方法を具備した開化である。粗末な説明ではあるが、詰り我々が内發的に展開して十の複雜の程度に開化を漕ぎつけた折も折、圖らざる天の一方から急に二十三十の複雜の程度に進んだ開化が現はれて俄然として我等に打つて懸つたのである。此壓迫によつて吾人は已を得ず不自然な發展を餘儀なくされるのであるから、今の日本の開化は地道にのそりのそりと歩くのでなくつて、やッと氣合を懸けてはぴよいぴよいと飛んで行くのである。開化のあらゆる階段を順々に踏んで通る餘裕を有たないから、出來る丈大きな針でぼつぼつ縫つて過ぎるのである。足の地面に觸れる所は十尺を通過するうちに僅か一尺位なもので、他の九尺は通らないのと一般である。私の外發的といふ意味は是で略御了解になつたらうと思ひます。
 さう云ふ外發的の開化が心理的にどんな影響を吾人に與ふるかと云ふと一寸變なものになります。心理學の講筵でもないのに六づかしい事を申上げるのも如何と存じますが、必要の個所丈を極簡易に述べて再び本題に戻る積でありますから、暫く御辛抱を願ひます。我々の心は絶間なく動いて居る。あなた方は今私の講演を聽いておいでになる、私は今あなた方を前に置いて何か言つて居る、雙方共に斯う云ふ自覺がある。それに御互の心は動いてゐる。これを意識と云ふのであります。此意識の一部分、時に積れば一分間位の所を絶間なく動いてゐる大きな意識から切り取つて調べて見ると矢張り動いてゐる。其動き方は別に私が發明した譯でも何でもない、只西洋の學者が書物に書いた通りを尤と思ふから紹介するだけでありますが、凡て一分間の意識にせよ三十秒間の意識にせよ其内容が明瞭に心に映ずる點から云へば、のべつ同程度の強さを有して時間の經過に頓着なく恰も一つ所にこびり付いた樣に固定したものではない。必ず動く。動くにつれて明かな點と暗い點が出來る。其高低を線で示せば平たい直線では無理なので、矢張り幾分か勾配の付いた弧線即ち弓形
(ゆみがた)の曲線で示さなければならなくなる。こんなに説明すると却つて込み入つて六づかしくなるかも知れませんが、學者は分つた事を分りにくゝ言ふもので、素人は分らない事を分つた樣に呑込んだ顔をするものだから非難は五分々々である。今云つた弧線とか曲線とかいふ事をもそつと碎いてお話をすると、物を一寸見るのにも、見て是が何であるかと云ふことがハツキリ分るには或る時間を要するので、即ち意識が下の方から一定の時間を經て頂點へ上つて來てハツキリして、あゝ是だなと思ふ時がくる。それを見詰めて居ると今度は視覺が鈍くなつて多少ぼんやりし始めるのだから一旦上の方へ向いた意識の方向が又下の方を向いて暗くなり懸ける。是は實驗して御覽になると分る。實驗と云つても機械抔は要らない。頭の中がさうなつて居るのだから只試(ため)しさへすれば氣が付くのです。本を讀むにしてもAと云ふ言葉とBと云ふ言葉と夫からCと云ふ言葉が順々に竝んで居れば此三つの言葉を順々に理解して行くのが當り前だからAが明かに頭に映る時はBはまだ意識に上らない。Bが意識の舞臺に上り始める時にはもうAの方は薄ぼんやりして段々識域の方に近づいてくる。BからCへ移るときは是と同じ所作を繰返すに過ぎないのだから、いくら例を長くしても同じ事であります。是は極めて短時間の意識を學者が解剖して吾々に示したものでありますが、此解剖は個人の一分間の意識のみならず、一般社會の集合意識にも、夫から又一日一月もしくは一年乃至十年の間の意識にも應用の利く解剖で、其特色は多人數になつたつて、長時間に亙つたつて、一向變りはない事と私は信じてゐるのであります。例へて見ればあなた方といふ多人數の團體が今此處で私の講演を聽いておいでになる。聽いて居ない方もあるかも知れないが、まァ聽いて居るとする。さうすると其個人でない集合體のあなた方の意識の上には今私の講演の内容が明かに入(はい)る。と同時に、此講演に來る前あなた方が經驗された事、即ち途中で雨が降り出して着物が濡れたとか、又蒸し暑くて途中が難儀であつたとかいふ意識は講演の方が心を奪ふにつれて、段々不明瞭不確實になつて來る。又此講演が終つて場外に出て涼しい風に吹かれでもすれば、あゝ好い心持だといふ意識に心を專領されて仕舞つて講演の方はピツタリ忘れて仕舞ふ。私から云へば全く有難くない話だが事實だから已を得ないのである。私の講演を行住坐臥共に覺えていらつしやいと言つても、心理作用に反した注文なら誰も承知する者はありません。是と同じ樣にあなた方と云ふ矢張り一個の團體の意識の内容を檢して見ると假令一ヶ月に亙らうが一年に亙らうが一ヶ月には一ヶ月を括るべき炳乎たる意識があり、又一年には一年を纏めるに足る意識があつて、夫から夫へと順次に消長してゐるものと私は斷定するのであります。吾々も過去を顧みて見ると中學時代とか大學時代とか皆特別の名のつく時代で其時代々々の意識が纏つて居ります。日本人總體の集合意識は過去四五年前には日露戰爭の意識丈になり切つて居りました。其後日英同盟の意識で占領された時代もあります。斯く推論の結果心理學者の解剖を擴張して集合の意識や又長時間の意識の上に應用して考へて見ますと、人間活力の發展の經路たる開化といふものの動くラインも亦波動を描いて弧線を幾個(いくつ)も幾個も繋ぎ合せて進んで行くと云はなければなりません。無論描かれる波の數は無限無數で、其一波々々の長短も高低も千差萬別でありませうが、矢張り甲の波が乙の波を呼出し、乙の波が又丙の波を誘ひ出して順次に推移しなければならない。一言にして云へば開化の推移はどうしても内發的でなければ嘘だと申上げたいのであります。一寸した話が私は今此處で演説をして居る。すると夫を御聞きになる貴方がたの方から云へば初めの十分間位は私が何を主眼に云ふか能く分らない、二十分目位になつて漸く筋道が付いて、三十分目位には漸く油がのつて少しは一寸面白くなり、四十分目には又ぼんやりし出し、五十分目には退屈を催し、一時間目には欠伸が出る。とさう私の想像通り行くか行かないか分りませんが、もしさうだとするならば、私が無理に此處で二時間も三時間も喋舌(しやべ)つては、あなた方の心理作用に反して我(が)を張ると同じ事で決して成功は出來ない。何故かと云へば此講演が其場合あなた方の自然に逆つた外發的のものになるからであります。いくら咽喉を絞り聲を嗄らして怒鳴(どな)つて見たつて貴方がたはもう私の講演の要求の度を經過したのだから不可(いけ)ません。あなた方は講演よりも茶菓子が食ひたくなつたり酒が飲みたくなつたり氷水が欲しくなつたりする。其方が内發的なのだから自然の推移で無理のない所なのである。
 是丈説明して置いて現代日本の開化に後戻をしたら大抵大丈夫でせう。日本の開化は自然の波動を描いて甲の波が乙の波を生み乙の波が丙の波を押し出すやうに内發的に進んでゐるかと云ふのが當面の問題なのですが殘念ながらさう行つて居ないので困るのです。行つて居ないと云ふのは、先程も申した通り活力節約活力消耗の二大方面に於て丁度複雜の程度二十を有して居つた所へ、俄然外部の壓迫で三十代迄飛び付かなければならなくなつたのですから、恰も天狗にさらはれた男の樣に無我夢中で飛び付いて行くのです。其經路は殆んど自覺してゐない位のものです。元々開化が甲の波から乙の波へ移るのは既に甲は飽いて居たゝまれないから内部欲求の必要上ずるりと新らしい一波を開展するので甲の波の好所も惡所も酸いも甘いも甞め盡した上に漸く一生面を開いたと云つて宜しい。從つて從來經驗し盡した甲の波には衣を脱いだ蛇と同樣未練もなければ殘り惜しい心持もしない。のみならず新たに移つた乙の波に揉まれながら毫も借り着をして世間體を繕つてゐるといふ感が起らない。所が日本の現代の開化を支配してゐる波は西洋の潮流で其波を渡る日本人は西洋人でないのだから、新らしい波が寄せる度に自分が其中で食客
(いさふらふ)をして氣兼をしてゐる樣な氣持になる。新らしい波は兎に角、今しがた漸くの思で脱却した舊い波の特質やら眞相やらも辨へるひまのないうちにもう棄てなければならなくなつて仕舞つた。食膳に向つて皿の數を味ひ盡す所(どころ)か元來どんな御馳走が出たかハツキリと眼に映じない前にもう膳を引いて新らしいのを竝べられたと同じ事であります。斯う云ふ開化の影響を受ける國民はどこかに空虚の感がなければなりません。又どこかに不滿と不安の念を懷かなければなりません。夫を恰も此開化が内發的でゞもあるかの如き顔をして得意でゐる人のあるのは宜しくない。それは餘程ハイカラです、宜しくない。虚僞でもある。輕薄でもある。自分はまだ煙草を喫(す)つても碌に味さへ分らない子供の癖に、煙草を喫つてさも旨さうな風をしたら生意氣でせう。夫を敢てしなければ立ち行かない日本人は隨分悲酸な國民と云はなければならない。開化の名は下せないかも知れないが、西洋人と日本人の社交を見ても一寸氣が付くでせう。西洋人と交際をする以上、日本本位ではどうしても旨く行きません。交際しなくとも宜いと云へば夫迄であるが、情けないかな交際しなければ居られないのが日本の現状でありませう。而して強いものと交際すれば、どうしても己を棄てゝ先方の習慣に從はなければならなくなる。我々があの人は肉刺(フオーク)の持ち樣も知らないとか、小刀(ナイフ)の持ち樣も心得ないとか何とか云つて、他を批評して得意なのは、つまりは何でもない、たゞ西洋人が我々より強いからである。我々の方が強ければ彼方に此方の眞似をさせて主客の位地を易へるのは容易の事である。がさう行かないから此方で先方の眞似をする。しかも自然天然に發展して來た風俗を急に變へる譯にいかぬから、たゞ器械的に西洋の禮式抔を覺えるより外に仕方がない。自然と内に醱酵して釀された禮式でないから取つてつけた樣で甚だ見苦しい。是は開化ぢやない、開化の一端とも云へない程の些細な事であるが、さう云ふ些細な事に至るまで、我々の遣(や)つてゐる事は内發的でない、外發的である。是を一言にして云へば現代日本の開化は皮相上滑(うはすべ)りの開化であると云ふ事に歸着するのである。無論一から十まで何から何までとは言はない。複雜な問題に對してさう過激の言葉は愼まなければ惡いが我々の開化の一部分、或は大部分はいくら己惚れて見ても上滑りと評するより致し方がない。併しそれが惡いからお止(よ)しなさいと云ふのではない。事實已むを得ない、涙を呑んで上滑りに滑つて行かなければならないと云ふのです。
 それでは子供が背
(せな)に負はれて大人と一所に歩くやうな眞似をやめて、じみちに發展の順序を盡して進む事はどうしても出來まいかといふ相談が出るかも知れない。さういふ御相談が出れば私は無い事もないと御答をする。が西洋で百年かゝつて漸く今日に發展した開化を日本人が十年に年期をつゞめて、しかも空虚の譏(そしり)を免かれるやうに、誰が見ても内發的であると認める樣な推移をやらうとすれば是亦由々しき結果に陷るのであります。百年の經驗を十年で上滑りもせず遣りとげやうとするならば年限が十分一に縮まる丈わが活力は十倍に増さなければならんのは算術の初歩を心得たものさへ容易く首肯する所である。是は學問を例に御話をするのが一番早分りである。西洋の新らしい説などを生嚙(なまかじ)りにして法螺を吹くのは論外として、本當に自分が研究を積んで甲の説から乙の説に移り又乙から丙に進んで、毫も流行を追ふの陋態なく、又ことさらに新奇を衒ふの虚榮心なく、全く自然の順序階級を内發的に經て、しかも彼等西洋人が百年も掛つて漸く到着し得た分化の極端に、我々が維新後四五十年の敎育の力で達したと假定する。體力腦力共に吾等よりも旺盛な西洋人が百年の歳月を費したものを、如何に先驅の困難を勘定に入れないにした所で僅か其半(なかば)に足らぬ歳月で明々地に通過し了るとしたならば吾人は此驚くべき知識の收穫を誇り得ると同時に、一敗また起つ能はざるの神經衰弱に罹つて、氣息奄々として今や路傍に呻吟しつゝあるは必然の結果として正に起るべき現象でありませう。現に少し落ち付いて考へて見ると、大學の敎授を十年間一生懸命にやつたら、大抵の者は神經衰弱に罹りがちぢやないでせうか。ピンピンして居るのは、皆嘘の學者だと申しては語弊があるが、まあ何方かと云へば神經衰弱に罹る方が當り前の樣に思はれます。學者を例に引いたのは單に分り易い爲で、理窟は開化のどの方面へも應用が出來る積です。
 既に開化と云ふものが如何に進歩しても、案外其開化の賜として吾々の受くる安心の度は微弱なもので、競爭其他からいらいらしなければならない心配を勘定に入れると、吾人の幸福は野蠻時代とさう變りはなさゝうである事は前
(ぜん)御話しゝた通りである上に、今言つた現代日本が置かれたる特殊の状況に因つて吾々の開化が機械的に變化を餘儀なくされる爲にたゞ上皮(うはかは)を滑つて行き、又滑るまいと思つて踏張(ふんば)る爲に神經衰弱になるとすれば、どうも日本人は氣の毒と言はんか憐れと言はんか、誠に言語道斷の窮状に陷つたものであります。私の結論は夫丈に過ぎない。あゝなさいとか、斯うしなければならぬとか云ふのではない。どうすることも出來ない、實に困つたと嘆息する丈で極めて悲觀的の結論であります。こんな結論には却つて到着しない方が幸であつたのでせう。眞と云ふものは、知らない中(うち)は知りたいけれども、知つてからは却つてアヽ知らない方が宜かつたと思ふ事が時々あります。モーパサンの小説に、或男が内縁の妻に厭氣(いやき)がさした所から、置手紙か何かして、妻を置き去りにした儘友人の家へ行つて隱れて居たといふ話があります。すると女の方では大變怒つてとうとう男の所在(ありか)を搜し當てゝ怒鳴り込みましたので男は手切金を出して手を切る談判を始めると、女は其金を床(ゆか)の上に叩きつけて、こんなものが欲しいので來たのではない、若し本當にあなたが私を捨てる氣ならば私は死んで仕舞ふ、そこにある(三階か四階の)窓から飛下りて死んで仕舞ふと言つた。男は平氣な顔を装つてどうぞと云はぬ許りに女を窓の方へ誘ふ所作をした。すると女はいきなり馳(か)けて行つて窓から飛下りた。死にはしなかつたが生れも付かぬ不具になつて仕舞ひました。男も是程女の赤心が眼の前へ證據立てられる以上、普通の輕薄な賣女同樣の觀をなして、女の貞節を今迄疑つてゐたのを後悔したものと見えて、再び故(もと)の夫婦に立ち歸つて、病妻の看護に身を委ねたといふのがモーパサンの小説の筋ですが、男の疑も好い加減な程度で留めて置けば是程の大事には至らなかつたかも知れないが、さうすれば彼の懷疑は一生徹底的に解ける日は來なかつたでせう。又此所迄押して見れば女の眞心(まごゝろ)が明かになるにはなるが、取返しの付かない殘酷な結果に陷つた後から囘顧して見れば、矢張り眞實懸價(かけね)のない實相は分らなくても好いから、女を片輪にさせずに置きたかつたでありませう。日本の現代開化の眞相も此話と同樣で、分らないうちこそ研究もして見たいが、斯う露骨に其性質が分つて見ると却つて分らない昔の方が幸福であるといふ氣にもなります。兎に角私の解剖した事が本當の所だとすれば我々は日本の將來といふものに就てどうしても悲觀したくなるのであります。外國人に對して乃公(おれ)の國には富士山があると云ふやうな馬鹿は今日は餘り云はない樣だが、戰爭以後一等國になつたんだといふ高慢な聲は隨所に聞くやうである。中々氣樂な見方をすれば出來るものだと思ひます。ではどうして此急場(きふば)を切り拔けるかと質問されても、前(ぜん)申した通り私には名案も何もない。只出來るだけ神經衰弱に罹らない程度に於て、内發的に變化して行くが好からうといふやうな體裁の好いことを言ふより外に仕方がない。苦(にが)い眞實を臆面なく諸君の前にさらけ出して、幸福な諸君にたとひ一時間たりとも不快の念を與へたのは重々御詫を申し上げますが、又私の述べ來つた所も亦相當の論據と應分の思索の結果から出た生眞面目の意見であると云ふ點にも御同情になつて惡い所は大目に見て頂きたいのであります。
                   
──明治44、11、10『朝日講演集』──

 

 

 

 

 

 

  (注) 1.  上記の「現代日本の開化」は、岩波書店版『漱石全集 第11巻 評論 雜篇』(岩波書店、昭和41年10月24日発行)によりました。        
    2.  平仮名の「く」を縦に長く伸ばした形の踊り字(繰り返し符号)は、平仮名や漢字を繰り返して表記しました。(例:もともと、なかなか、汽車だ汽車だ、いろいろ、など)           
    3.  「現代日本の開化」は、岩波文庫の『漱石文明論集』(三好行雄編、1986年10月16日第1刷発行)にも収録してあります。この本文では、仮名遣いを現代仮名遣いに改め、また、一部の漢字を仮名に直したり、漢字にルビを増やしたりして読みやすくしてあります。        
    4.  新字新かな表記の「現代日本の開化」は、青空文庫で読むことができます。
  「青空文庫」
    →
「現代日本の開化」
   
    5.  東北大学附属図書館のホームページに、「漱石文庫」があります。 
  
「東北大学デジタルコレクション」に、「漱石文庫データベース(2309)」と 「漱石文庫データベース(2020年再撮影)(811)」があります。
   
    6.  「漱石文庫関係文献目録」は、夏目漱石旧蔵書(東北大学「漱石文庫」を含む)について言及している文献を収集したもので、該当部分の記事を抜粋して収録してあります。    
    7.  「ウェブ上の漱石」という、漱石関連の情報を集めたページがあります。    
    8.  2019年5月9日の朝日新聞デジタルが、ロンドン漱石記念館の再開を伝えています。
 
 「漱石記念館、ロンドンで再開 天皇陛下の記帳など公開 文豪・夏目漱石(1867~1916)が英国に留学した際の資料を集めた「ロンドン漱石記念館」が8日、ロンドン郊外で開館した。2016年までロンドン市内にあった同館の展示を移し、3年ぶりに再開した。」
 
  
『小林恭子の英国メディア・ウオッチ』というブログに、ロンドン漱石記念館の
紹介記事があって、参考になります。
  
『小林恭子の英国メディア・ウオッチ』 → ロンドン漱石記念館   
   
    9.  『ぶらり重兵衛の歴史探訪2』というサイトの「会ってみたいな、この人に」(銅像巡り・銅像との出会い)に、  新宿区早稲田南町の漱石公園(漱石山房跡)にある「夏目漱石の胸像」の写真や、漱石誕生の地の紹介などがあります。     
           






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