資料138 夏目漱石「自転車日記」




 

                 自轉車日記        夏目漱石

 
西暦一千九百二年秋忘月忘日白旗を寝室の窓に翻へして下宿の婆さんに降を乞ふや否や、婆さんは二十貫目の體軀を三階の天邊迄運び上げにかゝる、運び上げるといふべきを上げにかゝると申すは手間のかゝるを形容せん爲なり、階段を上ること無慮四十二級、途中にて休憩する事前後二回、時を費す事三分五セコンドの後此偉大なる婆さんの得意なるべき顔面が苦し氣に戸口にヌツと出現する、あたり近所は狹苦しき許り也、此會見の榮を肩身狹くも雙肩に荷へる余に向つて婆さんは媾和條件の第一款として命令的に左の如く申し渡した、
   自轉車に御乘んなさい
 嗚呼悲いかな此自轉車事件たるや、余は遂に婆さんの命に從つて自轉車に乘るべく否自轉車より落るべく「ラヹンダー、ヒル」へと參らざるべからざる不運に際會せり、監督兼敎師は○○氏なり、悄然たる余を從へて自轉車屋へと飛び込みたる彼はまづ女乘の手頃なる奴を撰んで是がよからうと云ふ、其理由如何と尋ぬるに初學入門の捷徑は是に限るよと降參人と見て取つていやに輕蔑した文句を並べる、不肖なりと雖輕少ながら鼻下に髯を蓄へたる男子に女の自轉車で稽古をしろとは情ない、まあ落ちても善いから當り前の奴で遣つて見樣と抗議を申し込む、若し採用されなかつたら丈夫玉碎瓦全を恥づとか何とか珍汾漢の氣燄を吐かうと暗に下拵に默つて居る、と夫なら是に仕樣と、いとも見苦しかりける男乘をぞ宛てがひける、思へらく能者筆を擇ばず、どうせ落ちるのだから車の美醜抔は構ふものかと、宛てがはれたる車を重さうに引張り出す、不平なるは力を出して上からウンと押して見るとギーと鳴る事なり、伏して惟れば關節が弛んで油氣がなくなつた老朽の自轉車に萬里の波濤を超えて遙々と逢ひに來た樣なものである、自轉車屋には恩給年限がないのか知らんと一寸不審を起して見る、思ふに其年限は疾ッくの昔に來て居て今迄物置の隅に閑居靜養を專らにした奴に違ない、計らざりき東洋の孤客に引きずり出され奔命に堪ずして悲鳴を上るに至つては自轉車の末路亦憐むべきものありだがせめては降參の腹癒に此老骨をギユーと云はして遣らんものをと乘らぬ先から當人はしきりに乘り氣になる、然るにハンドルなるもの神經過敏にてこちらへ引けば股にぶつかり、向へ押しやると往來の眞中へ馳け出さうとする、乘らぬ内から斯の如く處置に窮する所を以て見れば乘つた後の事は思ひやるだに涙の種と知られける、
 「何處へ行つて乘らう」「何處だつて今日初めて乘るのだから成丈人の通らない道の惡くない落ちても人の笑はない樣な所に願ひ度」と降參人ながら色々な條件を提出する、仁惠なる監督官は余が衷情を憐んで「クラパム、コンモン」の傍人跡餘り繁からざる大道の横手馬乘場へと余を拉し去る、而して後「さあ茲で乘つて見給へ」といふ、愈降參人の降參人たる本領を發揮せざるを得ざるに至つた、嗚呼悲夫、
 乘つて見給へとは既に知己の語にあらず、其昔本國にあつて時めきし時代より天涯萬里孤城落日資金窮乏の今日に至る迄人の乘るのを見た事はあるが自分が乘つて見た覺は毛頭ない、去るを乘つて見給へとは餘り無慈悲なる一言と怒髮鳥打帽を衝て猛然とハンドルを握つた迄は天晴武者振頼母しかつたが愈鞍に跨つて顧盻勇を示す一段になると御誂通りに參らない、いざといふ間際でずどんと落ること妙なり、自轉車は逆立も何もせず至極落付拂つたものだが乘客丈は正に鞍壺にたまらずずんでん堂とこける、甞て講釋師に聞た通りを目のあたり自ら實行するとは、豈計らんや、
 監督官云ふ、「初めから腰を据ゑ樣抔といふのが間違つて居る、ペダルに足を掛け樣としても駄目だよ、只しがみ付て車が一回轉でもすれば上出來なんだ」、と心細いこと限りなし、吁吾事休矣いくらしがみ付ても車は半輪轉もしない吁吾事休矣と頻りに感投詞を繰り返して暗に助勢を嘆願する、かくあらんとは兼て期したる監督官なれば、近く進んでさあ、僕がしつかり抑へて居るから乘り給へ、おつとさう眞ともに乘つては顚り返る、そら見給へ、膝を打たらう、今度はそーつと尻を懸けて兩手で此處を握つて、よしか、僕が前へ押し出すから其勢で調子に乘つて馳せ出すんだよ、と怖がる者を面白半分前へ突き出す、然るに凡て此等の準備凡て此等の勞力が突き出される瞬間に於て砂地に横面を抛りつける爲の準備にして且勞力ならんとは實に神ならぬ身の誰か知るべき底の驚愕である
 ちらほら人が立ち留つて見る、にやにや笑つて行くものがある、向ふの樫の木の下に乳母さんが小供をつれてロハ臺に腰を懸てさつきから頻りに感服して見て居る、何を感服して居るのか分らない、大方流汗淋漓大童となつて自轉車と奮鬪しつゝある健氣な樣子に見とれて居るのだらう、天涯此好知己を得る以上は向脛の二三
所を擦りむいたつて惜しくはないといふ氣になる、「もう一遍頼むよ、もつと強く押して呉れ給へ、なに復落ちる? 落ちたつて僕の身體だよ」と降參人たる資格を忘れて頻りに汗氣燄を吹いて居る、すると出し拔に後ろから Sir!と呼んだものがある、はてな滅多な異人に近付はない筈だがと振り返ると、一寸人を狼狽せしむるに足る的の大巡査がヌーツと立つて居る、こちらはこんな人に近付ではないが先方では此ポツト出のチンチクリンの田舎者に近付かざる可らざる理由があつて正に近付いたものと見える、其理由に曰く茲は馬を乘る所で自轉車に乘る所ではないから自轉車を稽古するなら往來へ出て遣らしやい、オーライ謹んで命を領すと混淆式の答に博學の程度を見せて直樣之を監督官に申出る、と監督官は降參人の今日の凹(ヘコ)み加減充分とや思ひけん、もう歸らうぢやないかと云ふ、則ち乘れざる自轉車と手を携へて歸る、どうでしたかと婆さんの問に敗餘の意氣をもらすらく車嘶いて白日暮れ耳鳴つて秋氣來るヘン
 忘月忘日 例の自轉車を抱いて坂の上に控へたる余は徐ろに眼を放つて遙かあなたの下を見廻す、監督官の相圖を待つて一氣に此坂を馳け下りんとの野心あればなり、坂の長さ二丁餘、傾斜の角度二十度許、路幅十間を超えて人通多からず、左右はゆかしく住みなせる屋敷許なり、東洋の名士が自轉車から落る稽古をすると聞いて英政府が特に土木局に命じて此道路を作らしめたかどうだか其邊は未だに判然しないが、兎に角自轉車用道路として申分のない場所である、余が監督官は巡査の小言に膽を冷したものか乃至は又余の車を前へ突き出す勞力を省く爲か、昨日から人と車を天然自然ところがすべく特に此地を相し得て余を連れだしたのである、
 人の通らない馬車のかよはない時機を見計つたる監督官はさあ今だ早く乘り給へといふ、但し此乘るといふ字に註釋が入る、此字は吾等兩人の間には未だ普通の意味に用られて居ない、わが所謂乘るは彼等の所謂乘るにあらざるなり、鞍に尻を卸さゞるなり、ペダルに足を掛けざるなり、たゞ力學の原理に依頼して毫も人工を弄せざるの意なり、人をもよけず馬をも避けず水火をも辭せず驀地に前進するの義なり、去る程に其格好たるや恰も疝氣持が初出に梯子乘を演ずるが如く、吾ながら乘るといふ字を濫用しては居らぬかと危ぶむ位なものである、去れども乘るは遂に乘るなり、乘らざるにあらざるなり、兎も角も人間が自轉車に附着して居る也、而も一氣呵成に附着して居るなり、此意味に於て乘るべく命ぜられたる余は、疾風の如くに坂の上から轉がり出す、すると不思議やな左の方の屋敷の内から拍手して吾が自轉行を壯にしたいたづらものがある、妙だなと思ふ間もなく車は既に坂の中腹へかゝる、今度は大變な物に出逢つた、女學生が五十人許り行列を整へて向からやつてくる、斯うなつてはいくら女の手前だからと言つて氣取る譯にもどうする譯にも行かん、兩手は塞つて居る、腰は曲つて居る、右の足は空を蹴て居る、下り樣としても車の方で聞かない、絶體絶命仕樣がないから自家獨特の曲乘のまゝで女軍の傍をからくも通り拔ける、ほつと一息つく間もなく車は既に坂を下りて平地にあり、けれども毫も留まる氣色がない、しかのみならず向ふの四
角に立て居る巡査の方へ向けてどんどん馳けて行く、氣が氣でない、今日も巡査に叱られる事かと思ひながらも矢張曲乘の姿勢をくづす譯に行かない、自轉車は我に無理情死を逼る勢で無暗に人道の方へ猛進する、とうとう車道から人道へ乘り上げ夫でも止まらないで板塀へぶつかつて逆戻をする事一間半、危くも巡査を去る三尺の距離でとまつた。大分御骨が折れましやうと笑ながら査公が申された故、答へて曰くイエス、
 忘月忘日 「……御調べになる時はブリチツシユ、ミユジーアムへ御出掛になりますか」「あすこへは餘り參りません、本へ矢鱈にノートを書き付けたり棒を引いたりする癖があるものですから」「左樣、自分の本の方が自由に使へて善ですね、然し私抔は著作を仕樣と思ふとあすこへ出掛ます……」
 「夏目さんは大變御勉強ださうですね」と細君が傍から口を開く「餘り勉強もしません、近頃は人から勸められて自轉車を始めたものですから、朝から晩迄夫ばかりやつて居ます」「自轉車は面白う御座んすね、宅ではみんな乘りますよ、あなたも矢張り遠乘をなさいませう」遠乘を以て細君から擬せられた先生は實に普通の意味に於て乘るてふ事の如何なるものなるかをさへ解し得ざる男なり、只一種の曲解せられたる意味を以て坂の上から坂の下まで辛うじて乘り終せる男なり、遠乘の二字を承つて心安からず思ひしが、掛直を云ふことが第二の天性と迄進化せる二十世紀の今日、此點にかけては一人前に通用する人物なれば、如才なく下の如く返答をした「左樣遠乘といふ程の事も未だしませんが、坂の上から下の方へ勢よく乘りおろす時なんか頗る愉快ですね」
 今迄沈默を守つて居つた令孃は此奴少しは乘きるなと疳違をしたものと見えて「いつか夏目さんと一所に皆でヰンブルドンへでも行つたらどうでせう」と父君と母上に向つて動議を提出する、父君と母上は一齊に余が顔を見る、余是に於てか少々尻こそばゆき状態に陷るの已を得ざるに至れり、去りながら妙齡なる美人より申し込まれたる此果し状を眞平御免蒙ると握りつぶす譯には行かない、苟も文明の敎育を受けたる
紳士が婦人に對する尊敬を失しては生涯の不面目だし、且や是でもか是でもかと余が咽喉を扼しつゝある二寸五分のハイカラの手前もある事だから、殊更に平氣と愉快を等分に加味した顔をして「それは面白いでせう然し……」「御勉強で御忙しいでせうが今度の土曜位は御閑で居らつしやいませう」と段々切り込んでくる、余が「然し……」の後には必ずしも多忙が來ると限つて居らない、自分ながら何の爲の「然し」だか未だ判然せざるうちに斯う先を越されては愈「然し」の納り場がなくなる、「然し餘り人通りの多い所ではエー……アノーまだ練れませんから」と漸く一方の活路を開くや否や「いへ、あの邊の道路は實に閑靜なものですよ」とすぐ通せん坊をされる、進退谷るとは啻に自轉車の上のみにてはあらざりけり、と獨りで感心をして居る、感心した許りでは埒があかないから、此際唯一の手段として「然し」をもう一遍繰り返す「然し……今度の土曜は天氣でせうか」旗幟の鮮明ならざること夥しい誰に聞いたつて、そんな事が分るものか、偖も此勝負男の方負とや見たりけん、審判官たる主人は仲裁乎として口を開いて曰く、日はきめんでも何れ其内私が自轉車で御宅へ伺ひませう、そして一所に散歩でもしませう、──サイクリストに向つて一所に散歩でもしませうとは是如何、彼は余を目してサイクリストたるの資格なきものと認定せるなり
 此うつくしき令孃と「ヰンブルドン」に行かなかつたのは余の幸であるか將不幸であるか、考ふること四十八時間遂に判然しなかつた、日本派の俳諧師之を稱して朦朧體といふ
 忘月忘日 數日來の手痛き經驗と精緻なる思索とによつて余は下の結論に到達した
  自轉車の鞍とペダルとは何も世間體を繕ふ爲に漫然と附着して居るもので
  はない、鞍は尻を懸る爲めの鞍にしてペダルは足を載せ且つ踏み付けると
  回轉する爲のペダルなり、ハンドルは尤も危險の道具にして、一度び之を
  握るときは人目を眩せしむるに足る目勇しき働きをなすものなり
 かく漆桶を拔くが如く自轉悟を開きたる余は今例の監督官及び其友なる貴公子某伯爵と共に鑣を連ねて「クラパムコンモン」を横ぎり鐵道馬車の通ふ大通りへ曲らんとするところだと思ひ給へ、余の車は兩君の間に介在して操縱既に自由ならず、只前へ出られる許りと思ひ給へ、然るに出られべき一方口が突然塞つたと思ひ給へ、即ち横ぎりにかゝる塗炭に右の方より不都合なる一輛の荷車が御免よとも何とも云はず傲然として我前を通つたのさ、今迄の態度を維持すれば衝突する許りだらう、余の主義として衝突はこちらが勝つ場合に附いてのみ敢てするが、其他負色の見えすいた樣な衝突になるといつでも御免蒙るのが吾家傳來の憲法である、去るによつて此尨大なる荷車と老朽悲鳴をあげる程の吾が自轉車との衝突は、おやぢの遺言としても避けねばならぬ、と云つて左右へよけ樣とすると御兩君のうち何れへか衝突の尻をもつて行かねばならん、勿體なくも一人は伯爵の若殿樣で、一人は吾が恩師である、左樣な無禮な事は平民たる我々風情のすまじき事である、のみならず捕虜の分際として推參な所行と思はるべし、孝ならんと欲すれば禮ならず、禮ならんと欲すれば孝ならず、已むなくんば退却か落車の二あるのみと、一
の間に相場が極つて仕舞つた、此時に臨んで甞て狼狽したる事なきわれ熟ら思ふ樣、出來さへすれば退却も滿更でない、少なくとも落車に優ること萬々なりと雖も、悲夫逆艪の用意未だ調はざる今日の時勢なれば、エー仕方がない思ひ切つて落車にしろ、と兩車の間に堂と落つ、折しも余を去る事二間許の處に退屈さうに立つて居た巡査──自轉車の巡査に於る夫れ猶刺身のツマに於るが如きか、何ぞ夫れ引き合に出るの甚しき──このツマ的巡査が聲を揚げてアハ、アハ、アハ、と三度笑つた。其笑ひ方苦笑にあらず、冷笑にあらず、微笑にあらず、カンラカラカラ笑にあらず、全くの作り笑なり、人から頼まれてする依托笑なり、此依托笑をする爲に此巡査はシツクスペンスを得たか、ワン、シリングを得たか、遺憾ながら之を考究する暇がなかつた、
 へんツマ巡査などが笑つたつてと直樣御兩君の後を慕つて馳け出す、これが巡公でなくつて先日の御娘さんだつたら矢張り直樣馳け出されるかどうかの問題はいざとならなければ解釋がつかないから質問しない方がいゝとして先へ進む、偖兩君は此邊の地理不案内なりとの口實を以て覺束なき余に先導たるべしとの嚴命を傳へた、然るに案内には詳しいが自轉車には毫も詳しくないから、行かうと思ふ方へは行かないで曲り角へくると只曲り易い方へ曲つて仕舞ふ、是に於てか同じ所へ何返も出て來る、始めの内は何とかかんとか胡魔化して居たが、さうは持ち切れるものでない、今度は違つた方へ行かうとの御意である、よろしいと口には云つた樣なものゝ、儘にならぬは浮世の習、容易にそつちの方角へ曲らない、道幅三分の二も來た頃、やつとの思でハンドルをギユーツと捩つたら、自轉車は九十度の角度を一どきに廻つて仕舞つた、其急廻轉の爲に思ひ掛なき功名を博し得たと云ふ御話しは、明日の前講になかといふ價値もないから、すぐ話して仕舞う、此時迄氣がつかなかつたが此急劇なる方向轉換の刹那に余と同じ方向へ向けて余に尾行して來た一人のサイクリストがあつた、處が此不意撃に驚いて車をかはす暇もなくもろくも余の傍で轉がり落ちた、後で聞けば、四
角を曲る時にはベルを鳴すか片手をあげるか一通りの挨拶をするのが禮ださうだが、落天の奇想を好む余は左樣な月並主義を採らない、況んやベルを鳴したり手を擧げたり、そんな面倒な事をする餘裕は此際少しもなきに於てをやだ、是に於てか此ダンマリ轉換を遂行するのも余に取つては萬已を得ざるに出たもので、余のあとに喰付て來た男が吃驚して落車したのも亦無理のない處である、雙方共無理のない處であるから不思議はない、當前の事であるが、西洋人の論理は此程迄發達して居らんと見えて、彼の落ち人大に逆鱗の體で、チンチンチヤイナマンと余を罵つた、罵られたる余は一矢酬ゆる筈であるが、そこは大悠なる豪傑の本性をあらはして、御氣の毒だねの一言を遺して振り向もせずに曲つて行く、實は振り向かうとするうちに車が通り過ぎたのである、「御氣の毒だね」より外の語が出て來なかつたのである、正直なる余は苟且にも豪傑など云ふ、一種の曲者と間違らるゝを恐れて、茲にゆつくり辯解して置くなり、萬一余を豪傑だなどゝ買被つて失敬な擧動あるに於ては七年迄祟るかも知れない、
 忘月忘日 人間萬事漱石の自轉車で、自分が落ちるかと思ふと人を落す事もある、そんなに落膽したものでもないと、今日はズーズー敷構へて、バタシー公園へと急ぐ、公園は頗る閑靜だが、其手前三丁許りの所が非常の雜沓な通りで、初學者たる余にとつては難透難徹の難關である、今しも余の自轉車は「ラヹンダー」坂を無難に通り拔けて、此四通八達の中央へと乘り出す、向ふに鐵道馬車が一臺こちらを向いて休んで居る、其右側に非常に大なる荷車が向ふむきに休んで居る、其間約四尺許、余は此四尺の間をすり拔ける可く車を走らしたのである、余が車の前輪が馬車馬の前足と並んだ時、即ち余の身體が鐵道馬車と荷車との間に這入りかけた時、一臺の自轉車が疾風の如く向から割り込んで來た、斯樣な咄嗟の際には命が大事だから退却に仕樣か落車に仕樣か抔の分別は、さすがの吾輩にも出なかつたと見えて、おやと思つたら身體はもう落ちて居つた、落方が少々まづかつたので、落る時左の手でしたゝか馬の太鼓腹を叩いて、からくも四這の不體裁を免がれた、やれうれしやと思ふ間もなく鐵道馬車は前進し始める、馬は驚ろいて吾輩の自轉車を蹴飛す、相手の自轉車は何喰はぬ顔ですうと拔けて行く、間の抜さ加減は尋常一樣にあらず、此時派出やかなるギグに乘つて後ろから馳け來りたる一個の紳士、策を揚げ樣に余が方を顧みて曰く大丈夫だ安心し給へ、殺しやしないのだからと、余心中ひそかに驚いて云ふ、して見ると時には自轉車に乘せて殺して仕舞のがあるのかしらん英國は險呑な所だと
      
*      *      *      *      *
 
余が廿貫目の婆さんに降參して自轉車責に遇つてより以來、大落五度小落は其數を知らず、或時は石垣にぶつかつて向脛を擦りむき、或る時は立木に突き當つて生爪を剥がす、其苦戰云ふ許りなし、而して遂に物にならざるなり、元來此二十貫目の婆さんは無暗に人を馬鹿にする婆さんにして、此婆さんが皮肉に人を馬鹿にする時、其妹の十一貫目の婆さんは、瞬きもせず余が黄色な面を打守りて如何なる變化が余の眉間の間に現るゝかを檢査する役目を務める、御役目御苦勞の至りだ、此二婆さんの呵責に逢てより以來、余が猜疑心は益深くなり、余が繼子根性は日に日に増長し、遂には明け放しの門戸を閉鎖して我黄色な顔を愈黄色にするの已を得ざるに至れり、彼二婆さんは余が黄色の深淺を測つて彼等一日のプログラムを定める、余は實に彼等にとつて黄色な活動晴雨計であつた、會降參を申し込んで贏し得たる所若干ぞと問へば、貴重な留學時間を浪費して下宿の飯を二人前食ひしに過ぎず、去れば此降參は我に益なくして彼に損ありしものと思惟す、無殘なるかな、 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 
  (注) 1.  本文は、岩波書店版『漱石全集』第12巻(初期の文章及詩歌俳句、昭和42年3月30日発行)によりました。          
    2.  「く」を縦に長く伸ばした形の、平仮名の繰り返し符号は、普通の仮名に直してあります。(「にやにや」「どんどん」「是でもか是でもか」「チンチン」「日に日に」など)  
    3.  この「自轉車日記」は、明治36年6月20日発行の『ホトトギス』に掲載されました。  
    4.  初めの部分に出てくる「○○氏」について、『漱石全集』第12巻巻末の「注解」に次のようにあります。

 小宮豊隆の叔父に当る犬塚武夫のこと。小宮豊隆『夏目漱石』三七「神経衰弱」に「犬塚武夫は、三土忠造とともに小笠原長幹の御傅役として渡英し、偶然漱石と下宿を同じくしてゐたので、漱石の神経衰弱を気の毒に思ひ、自転車の稽古にひつぱり出したのだといふ」とある。

 また、その後に出てくる「其友なる貴公子某伯爵」というのは小笠原長幹のことと、同じ小宮豊隆『夏目漱石』三七「神経衰弱」に出ています。
  
 
    5.  青空文庫の中に、ちくま文庫『夏目漱石全集 10』所収の「自転車日記」が入っています。この本文は新字・現代仮名遣いで表記され、ルビがついているので、読みやすくなっています。 ただし、ちくま文庫に付いている語注は付いていません。   
    6.  東北大学附属図書館のホームページに、「漱石文庫」があります。 
  
 「東北大学デジタルコレクション」に、「漱石文庫データベース(2309)」「漱石文庫データベース(2020年再撮影)(811)」があります。           
 
    7.  「漱石文庫関係文献目録」は、夏目漱石旧蔵書(東北大学「漱石文庫」を含む)について言及している文献を収集したもので、該当部分の記事を抜粋して収録してあります。  
    8.  「ウェブ上の漱石」という、漱石関連の情報を集めたページがあります。
    
 
    9.  2019年5月9日の朝日新聞デジタルが、ロンドン漱石記念館の再開を伝えています。
 
 「漱石記念館、ロンドンで再開 天皇陛下の記帳など公開 文豪・夏目漱石(1867~1916)が英国に留学した際の資料を集めた「ロンドン漱石記念館」が8日、ロンドン郊外で開館した。2016年までロンドン市内にあった同館の展示を移し、3年ぶりに再開した。」
 
  
『小林恭子の英国メディア・ウオッチ』というブログに、ロンドン漱石記念館の
紹介記事があって、参考になります。
  
『小林恭子の英国メディア・ウオッチ』 → ロンドン漱石記念館    
      
 
    10.  『ぶらり重兵衛の歴史探訪2』というサイトの「会ってみたいな、この人に」(銅像巡り・銅像との出会い)に、新宿区早稲田南町の漱石公園(漱石山房跡)にある「夏目漱石の胸像」の写真や、漱石誕生の地の紹介などがあります。  
         

  
       
 
 
  
                
                 

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