資料137 夏目漱石「愚見数則」
 

 

 

        愚 見 数 則            夏目漱石

   理事来つて何か論説を書けと云ふ、余此頃脳中払底、諸子に示すべき事なし、然し是非に書けとならば仕方なし、何か書くべし、但し御世辞は嫌ひなり、時々は気に入らぬ事あるべし、又思ひ出す事を其儘書き連ぬる故、箇条書の如くにて少しも面白かるまじ、但し文章は飴細工の如きものなり、延ばせばいくらでも延る、其代りに正味は減るものと知るべし。
       
       
 
昔しの書生は、笈を負ひて四方に遊歴し、此人ならばと思ふ先生の許に落付く、故に先生を敬ふ事、父兄に過ぎたり、先生も亦弟子に対する事、真の子の如し、是でなくては真の教育といふ事は出来ぬなり、今の書生は学校を旅屋の如く思ふ、金を出して暫らく逗留するに過ぎず、厭になればすぐに宿を移す、かゝる生徒に対する校長は、宿屋の主人の如く、教師は番頭丁稚なり、主人たる校長すら、時には御客の機嫌を取らねばならず、況んや番頭丁稚をや、薫陶所か解雇されざるを以て幸福と思ふ位なり、生徒の増長し教員の下落するは当前の事なり。
 勉強せねば碌な者にはなれぬと覚悟すべし、余自ら勉強せず、而も諸子に面する毎に、勉強せよ々々といふ、諸子が余の如き愚物となるを恐るればなり、殷鑑遠からず勉旃々々。
 余は教育者に適せず、教育家の資格を有せざればなり、其不適当なる男が、糊口の口を求めて、一番得易きものは、教師の位地なり、是現今の日本に、真の教育家なきを示すと同時に、現今の書生は、似非教育家でも御茶を濁して教授し得ると云ふ、悲しむべき事実を示すものなり、世の熱心らしき教育家中にも、余と同感のもの沢山あるべし、真正なる教育家を作り出して、是等の偽物を追出すは、国家の責任なり、立派なる生徒となつて、此の如き先生には到底教師は出来ぬものと悟らしむるは、諸子の責任なり、余の教育場裏より放逐さゝるときは、日本の教育が隆盛になりし時と思へ。
 月給の高下にて、教師の価値を定むる勿れ、月給は運不運にて、下落する事も騰貴する事もあるものなり、抱関撃柝の輩時に或は公卿に優るの器を有す、是等の事は読本を読んでもわかる、只わかつた許りで実地に応用せねば、凡ての学問は徒労なり、昼寐をして居る方がよし。
 教師は必ず生徒よりゑらきものにあらず、偶誤りを教ふる事なきを保せず、故に生徒は、どこまでも教師の云ふ事に従ふべしとは云はず、服せざる事は抗弁すべし、但し己れの非を知らば翻然として恐れ入るべし、此間一点の弁疎を容れず、己れの非を謝するの勇気は之を遂げんとするの勇気に百倍す。
 狐疑する勿れ、蹰躇する勿れ、驀地に進め、一度び卑怯未練の癖をつくれば容易に去り難し、墨を磨して一方に偏する時は、中々平にならぬものなり、物は最初が肝要と心得よ。
 善人許りと思ふ勿れ、腹の立つ事多し、悪人のみと定むる勿れ、心安き事なし。
 人を崇拝する勿れ、人を軽蔑する勿れ、生れぬ先を思へ、死んだ後を考へよ。
 人を観ば其肺肝を見よ、夫が出来ずば手を下す事勿れ、水瓜の善悪は叩いて知る、人の高下は胸裏の利刀を揮つて真二に割つて知れ、叩いた位で知れると思ふと、飛んだ怪我をする。
 多勢を恃んで一人を馬鹿にする勿れ、己れの無気力なるを天下に吹聴するに異ならず、斯の如き者は人間の糟なり、豆腐の糟は馬が喰ふ、人間の糟は蝦夷松前の果へ行ても売れる事ではなし。
 自信重き時は、他人之を破り、自信薄き時は自ら之を破る、寧ろ人に破らるゝも自ら破る事勿れ、
 厭味を去れ、知らぬ事を知つたふりをしたり人の上げ足を取つたり、嘲弄したり、冷評したり、するものは厭味が取れぬ故なり、人間自身のみならず、詩歌俳諧共厭味のあるものに美くしきものはなし。
 教師に叱られたとて、己れの直打が下がれりと思ふ事なかれ、又褒められたとて、直打が上つたと、得意になる勿れ、鶴は飛んでも寐ても鶴なり、豚は吠ても呻つても豚なり、人の毀誉にて変化するものは相場なり、直打にあらず、相場の高下を目的として世に処する、之を才子と云ふ、直打を標準として事を行ふ、之を君子と云ふ、故に才子には栄達多く、君子は沈淪を意とせず。
 平時は処女の如くあれ、変事には脱兎の如くせよ、坐る時は大磐石の如くなるべし、但し処女も時には浮名を流し、脱兎稀には猟師の御土産となり、大磐石も地震の折は転がる事ありと知れ、
 小智を用る事勿れ、権謀を逞ふする勿れ、二点の間の最捷径は直線と知れ。
 権謀を用ひざる可らざる場合には、己より馬鹿なる者に施せ、利慾に迷ふ者に施せ、毀誉に動かさるゝ者に施せ、情に脆き者に施せ、御祈祷でも呪詛でも山の動いた例しはなし、一人前の人間が狐に胡魔化さるゝ事も、理学書に見ゑず。
 人を観よ、金時計を観る勿れ、洋服を観る勿れ、泥棒は我々より立派に出で立つものなり。
 威張る勿れ、
諂ふ勿れ、腕に覚えのなき者は、用心の為に六尺棒を携へたがり、借金のあるものは酒を勧めて債主を胡魔化す事を勉む、皆己れに弱味があればなり、徳あるものは威張らずとも人之を敬ひ、諂はずとも人之を愛す、太鼓の鳴るは空虚なるが為なり、女の御世辞のよきは腕力なきが故なり。
 妄りに人を評する
勿れ、斯様な人と心中に思ふて居れば夫で済むなり、悪評にて見よ、口より出した事を、再び口へ入れんとした処が、其甲斐なし、況して、又聞き噂抔いふ、薄弱なる土台の上に、設けられたる批評をや、学問上の事に付ては、無暗に議論せず、人の攻撃に遇ひ、破綻をあらはすを恐るればなり、人の身の上に付ては、尾に尾をつけて触れあるく是他人を傭ひて、間接に人を撲ち敲くに異ならず、頼まれたる事なら是非なし、
 頼まれもせぬに、かゝる事をなすは、酔興中の酔興なるものなり。
 馬鹿は百人寄つても馬鹿なり、味方が大勢なる故、己れの方が智慧ありと思ふは、了見違ひなり、牛は牛伴れ、馬は馬連れと申す、味方の多きは、時として其馬鹿なるを証明しつゝあることあり、此程片腹痛きことなし。
 事を成さんとならば、時と場合と相手と、此三者を見抜かざるべからず、其一を欠けば無論のこと、其百分一を欠くも、成功は覚束なし、但し事は、必ず成功を目的として、揚ぐべきものと思ふべからず、成功を目的として、事を揚ぐるは、月給を取る為に、学問すると同じことなり。
 人我を乗せんとせば、差支へなき限りは、乗せられて居るべし、いざといふ時に、痛く抛げ出すべし、敢て復讐といふにあらず、世の為め人の為めなり、小人は利に喩る、己れに損の行くことと知れば、少しは悪事を働かぬ様になるなり。
 言ふ者は知らず、知るものは言はず、余慶な不慥の事を喋々する程、見苦しき事なし、況んや毒舌をや、何事も控へ目にせよ、奥床しくせよ、無暗に遠慮せよとにはあらず、一言も時としては千金の価値あり、万巻の書もくだらぬ事ばかりならば糞紙に等し。
 損得と善悪とを混ずる勿れ、軽薄と淡泊を混ずる勿れ、真率と浮跳とを混ずる勿れ、温厚と怯懦とを混ずる勿れ、磊落と粗暴とを混ずる勿れ、機に臨み変に応じて、種々の性質を見はせ、一有つて二なき者は、上資にあらず。
 世に悪人ある以上は、喧嘩は免るべからず、社会が完全にならぬ間は、不平騒動はなかる可らず、学校も生徒が騒動をすればこそ、漸々改良するなれ、無事平穏は御目出度に相違なきも、時としては、憂ふべきの現象なり、斯く云へばとて、決して諸子を教唆するにあらず、無暗に乱暴されては甚だ困る。
 命に安んずるものは君子なり、命を覆すものは豪傑なり、命を怨む者は婦女なり、命を免れんとするものは、小人なり。
 理想を高くせよ、敢て野心を大ならしめよとは云はず、理想なきものゝ言語動作を見よ、醜陋の極なり、理想低き者の挙止容儀を観よ、美なる所なし、理想は見識より出づ、見識は学問より生ず、学問をして人間が上等にならぬ位なら、初から無学で居る方がよし。
 欺かれて悪事をなす勿れ、其愚を示す、喰はされて不善を行ふ勿れ、其陋を証す。
 黙々たるが故に、訥弁と思ふ勿れ、拱手するが故に、両腕なしと思ふ勿れ、笑ふが故に、癇癪なしと思ふ勿れ、名聞に頓着せざるが故に、聾と思ふ勿れ、食を択ばざるが故に、口なしと思ふ勿れ、怒るが故に、忍耐なしと思ふ勿れ。
 人を屈せんと欲せば、先づ自ら屈せよ、人を殺さんと欲せば、先づ自ら死すべし、人を侮るは、自ら侮る所以なり、人を敗らんとするは、自ら敗る所以なり、攻むる時は、韋駄天の如くなるべく、守るときは、不動の如くせよ。
 右の条々、たゞ思ひ出る儘に書きつく、長く書けば際限なき故略す、必ずしも諸君に一読せよとは言はず、況んや拳々服膺するをや、諸君今少壮、人生中尤も愉快の時期に遭ふ、余の如き者の説に、耳を傾くるの遑なし、然し数年の後、校舎の生活をやめて、突然俗界に出でたるとき、首を回らして考一考せば、或は尤と思ふ事もあるべし、但し夫も保証はせず。

 



 
  (注) 1.  本文は、岩波書店版『漱石全集』第12巻(初期の文章及詩歌俳句、昭和42年3月30日発行)によりました。          
    2.  文中の仮名遣いはもとのままですが、漢字は常用漢字のあるものは、大体常用漢字に改めました。    
    3.  この文章は、明治28年11月25日発行の愛媛県尋常中学校『保恵会雑誌』に掲載されたものです。    
    4.  「愚見数則」は、岩波文庫の『漱石文明論集』(三好行雄編、1986年10月16日第1刷発行)にも収録してあります。この本文では、一部の漢字を仮名に直したり、読点を句点に改めたり、読みにくい漢字にルビを施したりして、読みやすくしてあります。
 (漢字を仮名に直した例) 此人 → この人  先生も亦 → 先生もまた  是でなくては → これでなくては  況んや  → いはんや  此の如き → かくの如き  斯の如き → かくの如き
   
    5.  明治28年4月、漱石は高等師範学校と東京専門学校を辞し、菅虎雄の世話で愛媛県尋常中学校教諭に就任しています。満28歳の時でした。
 なお、愛媛県尋常中学校は、明治32年に「愛媛県松山中学校」と改称され、明治34年に「愛媛県立松山中学校」と改称されました。 現在は、「愛媛県立松山東高等学校」となっています。
   
    6.   東北大学附属図書館のホームページに、「夏目漱石ライブラリー」があります。
  この「夏目漱石ライブラリー」には、「夏目漱石について」「漱石文庫について」「漱石文庫目録」「漱石文庫関係文献目録」のページがあります。
   
    7.  「漱石文庫関係文献目録」は、夏目漱石旧蔵書(東北大学「漱石文庫」を含む)について言及している文献を収集したもので、該当部分の記事を抜粋して収録してあります。
   
    8.  「ウェブ上の漱石」という、漱石関連の情報を集めたページがあります。    
    9.   2019年5月9日の朝日新聞デジタルが、ロンドン漱石記念館の再開を伝えています。
 
 「漱石記念館、ロンドンで再開 天皇陛下の記帳など公開 文豪・夏目漱石(1867~1916)が英国に留学した際の資料を集めた「ロンドン漱石記念館」が8日、ロンドン郊外で開館した。2016年までロンドン市内にあった同館の展示を移し、3年ぶりに再開した。」
 
   
    10.  『小林恭子の英国メディア・ウオッチ』というブログに、ロンドン漱石記念館の紹介記事があって、参考になります。
 
 『小林恭子の英国メディア・ウオッチ』
  → ロンドン漱石記念館  
   
    11.   『ぶらり重兵衛の歴史探訪2』というサイトの「会ってみたいな、この人に」(銅像巡り・銅像との出会い)に、新宿区早稲田南町の漱石公園(漱石山房跡)にある「夏目漱石の胸像」の写真や、漱石誕生の地の紹介などがあります。    

   
        
       
        
       
                                     
        

       

                                                   
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