資料135 『古事記』序 



        古 事 記  序

臣安萬侶言夫混元既凝氣象未效無名無爲誰知其形然乾坤初分參神作造化之首陰陽斯開二靈爲群品之祖所以出入幽顯日月彰於洗目浮沈海水神祇呈於滌身故太素杳冥因本敎而識孕土産嶋之時元始綿邈頼先聖而察生神立人之世寔知懸鏡吐珠而百王相續喫劒切蛇以萬神蕃息與議安河而平天下論小濱而清國土是以番仁岐命初降于高千嶺神倭天皇經歴于秋津嶋化熊出川天劒獲於高倉生尾遮徑大烏導於吉野列儛攘賊聞歌伏仇即覺夢而敬神祇所以稱賢后望烟而撫黎元於今傳聖帝定境開邦制于近淡海正姓撰氏勒于遠飛鳥雖歩驟各異文質不同莫不稽古以繩風猷於既頽照今以補典敎於欲絶曁飛鳥清原大宮御大八州天皇御世濳龍體元洊雷應期開夢歌而相纂業投夜水而知承基然天時未臻蝉蛻於南山人事共給虎歩於東國皇輿忽駕淩渡山川六師雷震三軍電逝杖矛擧威猛士烟起絳旗耀兵凶徒瓦解未移浹辰氣沴自清乃放牛息馬愷悌歸於華夏巻旌戢戈儛詠停於都邑歳次大梁月踵夾鐘清原大宮昇即天位道軼軒后德跨周王握乾符而摠六合得天統而包八荒乘二氣之正齊五行之序設神理以奬俗敷英風以弘國重加智海浩汗潭探上古心鏡煒煌明覩先代於是天皇詔之朕聞諸家之所賷帝紀及本辭既違正實多加虚僞當今之時不改其失未經幾年其旨欲滅斯乃邦家之經緯王化之鴻基焉故惟撰録帝紀討覈舊辭削僞定實欲流後葉時有舎人姓稗田名阿禮年是廿八爲人聰明度目誦口拂耳勒心即勅語阿禮令誦習帝皇日繼及先代舊辭然運移世異未行其事矣伏惟皇帝陛下得一光宅通三亭育御紫宸而德被馬蹄之所極坐玄扈而化照船頭之所逮日浮重暉雲散非烟連柯并穗之瑞史不絶書列烽重譯之貢府無空月可謂名高文命德冠天乙矣於焉惜舊辭之誤忤正先紀之謬錯以和銅四年九月十八日詔臣安萬侶撰録稗田阿禮所誦之勅語舊辭以獻上者謹隨詔旨子細採摭然上古之時言意並朴敷文構句於字即難已因訓述者詞不逮心全以音連者事趣更長是以今或一句之中交用音訓或一事之内全以訓録即辭理叵見以注明意況易解更非注亦於姓日下謂玖沙訶於名帶字謂多羅斯如此之類隨本不改大抵所記者自天地開闢始以訖于小治田御世故天御中主神以下日子波限建鵜草葺不合命以前爲上巻神倭伊波禮毘古天皇以下品陀御世以前爲中巻大雀皇帝以下小治田大宮以前爲下巻并録三巻謹以獻上臣安萬侶誠惶誠恐頓首頓首
   和銅五年正月廿八日        正五位上勳五等太朝臣安萬侶

 
 
  (注) 1.  本文は、日本古典文学大系1『古事記 祝詞』(倉野憲司・武田祐吉 校注、岩波書店・昭和33年6月5日第1刷発行、昭和38年8月10日第5刷発行)によりました。ただし、返り点・句読点・改行等は、省略しました。      
    2. 凡例によれば、上記の「原文は享保三年版の『訂正 古訓古事記』の本文を底本とし、真福寺本を始め代表的と思われる数種の写本(複製本)刊本を以って校訂したもの」の由です。    
    3. 『古事記』の序の最後に出てくる「鵜草葺不合命」は、上巻最後の本文には、「鵜葺草葺不合命」となっています。    
    4.  〇古事記(こじき)=現存する日本最古の歴史書。三巻。稗田阿礼(ひえだのあれ) が天武天皇の勅により誦習した帝紀および先代の旧辞を、太安万侶(おおのやすまろ)が元明天皇の勅により撰録して712年(和銅5)献上。上巻は天地開闢から鵜葺草葺不合命(うがやふきあえずのみこと)まで、中巻は神武天皇から応神天皇まで、下巻は仁徳天皇から推古天皇までの記事を収め、神話・ 伝説と多数の歌謡とを含みながら、天皇を中心とする日本の統一の由来を物語る。ふることぶみ。 (『広辞苑』第6版による。)    
    5.  『古事記正解』というサイトがあって、そこで『國寶眞福寺本古事記』の影印(上巻全文及び中巻・下巻の冒頭)が見られましたが、今は見られないようです。
この影印は、山田孝雄解説『國寶眞福寺本古事記』(立命館大学1943)の複写の由です。ここでは、他に『道果本古事記』の影印(上巻の冒頭21頁分)、『卜部兼永筆本古事記』の影印(上巻の冒頭15頁分)などが見られました。
また、ここには「『萬葉集』テキスト」があって、万葉集の全巻の原文と訳文(読み下し文)とを見ることができたのでしたが。   
   
    6.  NHK・TV『その時 歴史が動いた』の第323回(平成20年4月23日)の番組で、『「古事記」誕生~日本最古の史書の謎~』が放送されました。古くから伝わる神話や天皇の系譜を伝える『古事記』は、誰がどのような目的で編纂したのか、神話にはどのようなメッセージがこめられているのか、などについて考察を加えています。    
    7.  『菊池眞一研究室』のサイトで、荒山慶一氏作成による『古事記』(『校定古事記』)を読むことができます。    





              トップページへ