資料128 伯夷列伝第一(『史記』巻六十一)



     伯夷列傳第一  史記巻六十一   司 馬  遷  

夫學者載籍極博猶考信於六藝詩書雖缺然虞夏之文可知也堯將遜位讓於虞舜舜禹之閒嶽牧咸薦乃試之於位典職數十年功用既興然後授政示天下重器王者大統傳天下若斯之難也而説者曰堯讓天下於許由許由不受恥之逃隱及夏之時有卞隨務光者此何以稱焉太史公曰余登箕山其上葢有許由冢云孔子序列古之仁聖賢人如呉太伯伯夷之倫詳矣余以所聞由光義至高其文辭不少概見何哉孔子曰伯夷叔齊不念舊惡怨是用希求仁得仁又何怨乎余悲伯夷之意睹軼詩可異焉
其傳曰伯夷叔齊孤竹君之二子也父欲立叔齊及父卒叔齊讓伯夷伯夷曰父命也遂逃去叔齊亦不肯立而逃之國人立其中子於是伯夷叔齊聞西伯昌善養老盍往歸焉及至西伯卒武王載木主號爲文王東伐紂伯夷叔齊叩馬而諫曰父死不葬爰及干戈可謂孝乎以臣弑君可謂仁乎左右欲兵之太公曰此義人也扶而去之武王已平殷亂天下宗周而伯夷叔齊恥之義不食周粟隱於首陽山采薇而食之及餓且死作歌其辭曰登彼西山兮采其薇矣以暴易暴兮不知其非矣神農虞夏忽焉沒兮我安適歸矣于嗟徂兮命之衰矣遂餓死於首陽山由此觀之怨邪非邪
或曰天道無親常與善人若伯夷叔齊可謂善人者非邪積仁絜行如此而餓死且七十子之徒仲尼獨薦顔淵爲好學然囘也屢空糟糠不厭而卒蚤夭天之報施善人其何如哉盜蹠日殺不辜肝人之肉暴戻恣睢聚黨數千人横行天下竟以壽終是遵何德哉此其尤大彰明較著者也若至近世操行不軌專犯忌諱而終身逸樂富厚累世不絶或擇地而蹈之時然後出言行不由徑非公正不發憤而遇禍災者不可勝數也余甚惑焉儻所謂天道是邪非邪
子曰道不同不相爲謀亦各從其志也故曰富貴如可求雖執鞭之士吾亦爲之如不可求從吾所好歳寒然後知松柏之後凋擧世混濁清士乃見豈以其重若彼其輕若此哉君子疾沒世而名不稱焉賈子曰貪夫徇財烈士徇名夸者死權眾庶馮生同明相照同類相求雲從龍風從虎聖人作而萬物覩伯夷叔齊雖賢得夫子而名益彰顔淵雖篤學附驥尾而行益顯巖穴之士趣舎有時若此類名堙滅而不稱悲夫閭巷之人欲砥行立名者非附靑雲之士惡能施于後世哉



  (注) 1. 本文は、新釈漢文大系88『史記 八(列伝一)』(水沢利忠著、明治書院・平成2年2月10日初版発行)によりました。ただし、返り点・句読点は省略しました。           
    2. 底本については、巻頭の「例言」に次のようにあります。
 本書は、滝川亀太郎博士著の『史記会注考証』を底本とし、その底本となった同治九年張文虎刊『金陵書局本』及び同治十一年張文虎校刊『史記集解索隠正義札記』と、明治十六年刊有井範平の補標『史記評林』、上海図書集成印書局校印の乾隆十二年版勅校刻二十一史の『欽定史記』、一九五九年七月中華書局刊の『史記』、拙著『史記会注考証校補』などを併せて校訂した。
   
    3.  〇伯夷(はくい)=中国、殷(いん)末・周初の伝説的聖人。孤竹国主の長子。弟の叔斉(しゆくせい)と互いに王位を譲り合って、二人とも国を出奔した。のち、周の武王が殷の紂王(ちゆうおう)を討つ時、弟とともに、臣が君を弑(しい)することの非をいさめたがいれられず、周の天下統一後は周の禄を食(は)むことを恥として首陽山に隠れ、わらびをとって食べ、ついに餓死したという。兄弟は清廉の士の代表とされる。(『大辞林』第二版による)
 〇伯夷叔斉(はくい・しゅくせい)=ともに殷(いん)の処士で、伯夷が兄、叔斉が弟。周の武王が殷の紂(ちゆう)王を討つに当たり、臣が君を弑(しい)する不可を説いていさめたが聞き入れられなかった。周が天下を統一すると、その禄を食むことを拒んで首陽山に隠れ、ともに餓死したと伝える。清廉潔白な人のたとえとする。(『広辞苑』第6版による)
   
    4.  『国立国会図書館デジタルコレクション』の中に、『国訳漢文大成経子史部第十五巻史記列伝』が収録されており、そこで「伯夷列伝第一」を見る(読む)ことができます。(ただし、『国訳漢文大成』は「送信サービスで閲覧可能」の資料なので、見るためには「利用者登録(本登録)」をする必要があります。)
  国訳(5-10/446)  原文(333-334/ 446)

また、『増補評點  史記評林 第十六冊』 の「伯夷列伝第一」を見る(読む)こともできます。(これはログインなしで(「利用者登録(本登録)」なしで)読める資料です。)
   
    5.  〇天道是か非か=〔史記伯夷伝〕天の与える運命は公平であるというが、本当かどうか疑わしい。 
 〇天道(てんどう)=(1)天帝の道。超自然の宇宙の道理。 (2)以下、略。(以上、『広辞苑』第6版による。)
   
           
 
 
   





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