(注) | 1. |
詩の本文は、新釈漢文大系10『古文真宝(前集)下』(星川清孝著、明治書院・昭和42年2月25日初版発行、昭和47年3月15日11版発行)によりました。 ただし、詩の本文に施してある返り点は省略しました。 |
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2. | 全詩七言120句、総字数840字の長詩です。 | ||||
3. | この詩は、『白氏長慶集』巻12に、「長恨歌伝、前進士陳鴻撰」と題した序とともに載せてある由です。 | ||||
4. | 『国立国会図書館デジタルコレクション』に、(唐)陳鴻
撰『長恨歌傳』(慶長元和年間刊)があって、画像で本文が見られます。 ここには「長恨歌傳」の他に白楽天の「長恨歌」「琵琶行」、それと「野馬臺」も収められています。 「長恨歌序」が 7~8/25に、「長恨歌」は 9~13/25に出ています。 (「野馬臺」については、『ウィキペディア』の「野馬台詩」をご覧ください。) |
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5. |
〇白氏長慶集(はくしちょうけいしゅう)=「白氏文集」(はくしぶんしゅう)参照。 〇白氏文集(はくしぶんしゅう)(ハクシモンジュウとも)=唐の白居易の詩文集。現存71巻。824年に元稹(げんじん)が編んだ「白氏長慶集」50巻に自選の後集20巻、続後集5巻を加えたもの。 平安時代に渡来、「文集」または「集」と呼ばれ、広く愛読されて当時の文学に影響を与えた。(以上、『広辞苑』第7版による。) |
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6. |
『白氏文集』という書名の読み方について 『ウィキペディア』の「白氏文集」の項の注に、「日本では従来「はくしもんじゅう」と呼びならわされてきたが、近年の研究により鎌倉期以降明治20年頃まで「-ぶんしゅう」であり、「-もんじゅう」は明治以後に生じた慣用であることが指摘されている」とあります。 未見ですが、『白氏文集は〈もんじゅう〉か〈ぶんしゅう〉か 〝文集‶閑談 』(明治大学教授・神鷹徳治著、遊学社・2012年11月初版)があります。 また、『広辞苑』でも、第6版までは項目は「はくしもんじゅう」として、「(ハクシブンシュウとも)」としてありましたが、第7版では項目が「はくしぶんしゅう」で、「(ハクシモンジュウとも)」となっています。 |
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7. |
「戦後日本「長恨歌」研究一覧」というページがあって、「長恨歌」「長恨歌伝」「長恨歌序」についての、日本における戦後の研究が紹介されています。 ここの「「長恨歌序」の研究」には、この序が「(1)序としての体裁を整えていない、(2)中国には伝わっていない、(3)署名がない、(4)「金沢本」等の古い写本に序を見ない」等の理由によって、序は日本人の作、鎌倉以後の僧徒の手に成ったものであろう、という近藤春雄氏の意見が紹介されています。 この「長恨歌序」は、注4にある(唐)陳鴻 撰『長恨歌傳』(慶長元和年間刊)で読む(見る)ことができます。 |
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8. |
フリー百科事典『ウィキペディア』に、「長恨歌」「白氏文集」の項があります。 → フリー百科事典『ウィキペディア』 →「長恨歌」 →「白氏文集」 |