資料120 白楽天「長恨歌」




 長恨歌 白楽天

漢皇重色思傾國
御宇多年求不得
楊家有女初長成
養在深閨人未識
天生麗質難自棄
一朝選在君王側
囘頭一笑百媚生
六宮粉黛無顔色
春寒賜浴華清池
温泉水滑洗凝脂
侍兒扶起嬌無力
始是新承恩澤時
雲鬢花顔金歩搖
芙蓉帳暖度春宵
春宵苦短日高起
從此君王不早朝
承歡侍宴無閒暇
春從春遊夜專夜
後宮佳麗三千人
三千寵愛在一身
金屋粧成嬌侍夜
玉樓宴罷醉和春
姉妹弟兄皆列土
可憐光彩生門戸
遂令天下父母心
不重生男重生女
驪宮高處入靑雲
仙樂風飄處處聞
緩歌慢舞凝絲竹
盡日君王看不足
漁陽鼙鼓動地來
驚破霓裳羽衣曲
九重城闕煙塵生
千乘萬騎西南行
翠華搖搖行復止
西出都門百餘里
六軍不發無奈何
宛轉蛾眉馬前死
花鈿委地無人收
翠翹金雀玉搔頭
君王掩面救不得
囘首血涙相和流
黄埃散漫風蕭索
雲棧縈紆登劍閣
蛾嵋山下少人行
旌旗無光日色薄
蜀江水碧蜀山靑
聖主朝朝暮暮情
行宮見月傷心色
夜雨聞鈴腸斷聲
天旋地轉囘龍馭
到此躊躇不能去
馬嵬坡下泥土中
不見玉顔空死處
君臣相顧盡沾衣
東望都門信馬歸
歸來池苑皆依舊
太液芙蓉未央柳
芙蓉如面柳如眉
對此如何不涙垂
春風桃李花開夜
秋雨梧桐葉落時
西宮南苑多秋草
宮葉滿階紅不掃
梨園弟子白髪新
椒房阿監靑娥老
夕殿螢飛思悄然
孤燈挑盡未成眠
遅遅鐘鼓初長夜
耿耿星河浴曙天
鴛鴦瓦冷霜華重
翡翠衾寒誰與共
悠悠生死別經年
魂魄不曾來入夢
臨邛道士鴻都客
能以精神致魂魄
爲感君王展轉思
遂敎方士殷勤覓
排風馭氣奔如電
升天入地求之徧
上窮碧落下黄泉
兩處茫茫皆不見
忽聞海上有仙山
山在虚無縹緲閒
樓殿玲瓏五雲起
其中綽約多仙子
中有一人字玉眞
雪膚花貌參差是
金闕西廂叩玉扃
轉敎小玉報雙成
聞道漢家天子使
九華帳裏夢魂驚
攬衣推枕起徘徊
珠箔銀屏邐迤開
雲鬢半偏新睡覺
花冠不整下堂來
風吹仙袂飄飄擧
猶似霓裳羽衣舞
玉容寂寞涙欄干
梨花一枝春帶雨
含情凝睇謝君王
一別音容兩渺茫
昭陽殿裏恩愛絶
蓬萊宮中日月長
囘頭下望人寰處
不見長安見塵霧
唯將舊物表深情
鈿合金釵寄將去
釵留一股合一扇
釵擘黄金合分鈿
但令心似金鈿堅
天上人閒會相見
臨別殷勤重寄詞
詞中有誓兩心知
七月七日長生殿
夜半無人私語時
在天願作比翼鳥
在地願爲連理枝
天長地久有時盡
此恨綿綿無絶期


 
 
  (注) 1.  詩の本文は、新釈漢文大系10『古文真宝(前集)下』(星川清孝著、明治書院・昭和42年2月25日初版発行、昭和47年3月15日11版発行)によりました。
 ただし、詩の本文に施してある返り点は省略しました。   
   
    2.  全詩七言120句、総字数840字の長詩です。    
    3.  この詩は、『白氏長慶集』巻12に、「長恨歌伝、前進士陳鴻撰」と題した序とともに載せてある由です。    
    4.  『国立国会図書館デジタルコレクション』に、(唐)陳鴻 撰『長恨歌傳』(慶長元和年間刊)があって、画像で本文が見られます。
 ここには「長恨歌傳」の他に白楽天の「長恨歌」「琵琶行」、それと「野馬臺」も収められています。
 「長恨歌序」が 7~8/25に、「長恨歌」は 9~13/25に出ています。
(「野馬臺」については、『ウィキペディア』の「野馬台詩」をご覧ください。) 
   
5.  〇白氏長慶集(はくしちょうけいしゅう)=「白氏文集」(はくしぶんしゅう)参照。
 〇白氏文集(はくしぶんしゅう)(ハクシモンジュウとも)=唐の白居易の詩文集。現存71巻。824年に元稹(げんじん)が編んだ「白氏長慶集」50巻に自選の後集20巻、続後集5巻を加えたもの。 平安時代に渡来、「文集」または「集」と呼ばれ、広く愛読されて当時の文学に影響を与えた。(以上、『広辞苑』第7版による。)
    6. 『白氏文集』という書名の読み方について
 『ウィキペディア』の「白氏文集」の項の注に、「日本では従来「はくしもんじゅう」と呼びならわされてきたが、近年の研究により鎌倉期以降明治20年頃まで「-ぶんしゅう」であり、「-もんじゅう」は明治以後に生じた慣用であることが指摘されている」とあります。
 未見ですが、『白氏文集は〈もんじゅう〉か〈ぶんしゅう〉か 〝文集‶閑談 』(明治大学教授・神鷹徳治著、遊学社・2012年11月初版)があります。
 また、『広辞苑』でも、第6版までは項目は「はくしもんじゅう」として、「(ハクシブンシュウとも)」としてありましたが、第7版では項目が「はくしぶんしゅう」で、「(ハクシモンジュウとも)」となっています。
   
    7.  「戦後日本「長恨歌」研究一覧」というページがあって、「長恨歌」「長恨歌伝」「長恨歌序」についての、日本における戦後の研究が紹介されています。
 ここの「長恨歌序」の研究には、この序が「(1)序としての体裁を整えていない、(2)中国には伝わっていない、(3)署名がない、(4)「金沢本」等の古い写本に序を見ない」等の理由によって、序は日本人の作、鎌倉以後の僧徒の手に成ったものであろう、という近藤春雄氏の意見が紹介されています。

 この「長恨歌序」は、注4にある(唐)陳鴻 撰『長恨歌傳』(慶長元和年間刊)で読む(見る)ことができます。
   
    8.  フリー百科事典『ウィキペディア』に、「長恨歌」「白氏文集」の項があります。 
  →  フリー百科事典『ウィキペディア』
  →「長恨歌」 →「白氏文集」 
   





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