資料119 白居易「与微之書」



 

       與微之書               白 居 易

 

 


四月十日夜樂天白微之微之不見足下面已三年矣不得足下書欲二年矣人生幾何離闊如此況以膠漆之心置於胡越之身進不得相合退不能相忘牽攣乖隔各欲白首微之微之如何如何天實爲之謂之奈何僕初到潯陽時有熊孺登來得足下前年病甚時一札上報疾状次敍病心終論平生交分且云危惙之際不暇及他唯收數帙文章封題其上曰他日送達白二十二郎便請以代書悲哉微之於我也其若是乎又睹所寄聞僕左降詩云殘燈無焰影憧憧此夕聞君謫九江垂死病中驚起坐暗風吹雨入寒窻此句他人尚不可聞況僕心哉至今毎吟猶惻惻耳且置是事略敍近懷僕自到九江已渉三載形骸且健方寸甚安下至家人幸皆無恙長兄去夏自徐州至又有諸阮孤小弟妹六七人提挈同來頃所牽念者今悉置在目前得同寒煖飢飽此一泰也江州風候稍涼地少瘴癘乃至蛇虺蚊蚋雖有甚稀湓魚頗肥江酒極美其餘食物多類北地僕門内之口雖不少司馬之俸雖不多量入儉用亦可自給身衣口食且免求人此二泰也僕去年秋始遊廬山到東西二林閒香鑪峯下見雲木泉石勝絶第一愛不能捨因置草堂堂前有喬松十數株脩竹千餘竿靑蘿爲牆垣白石爲橋道流水周於舎下飛泉落於簷閒紅榴白蓮羅生池砌大抵若是不能殫記毎一獨往動彌旬月平生所好者盡在其中不唯忘歸可以終老此三泰也計足下久不得僕書必加憂望今故録三泰以先奉報其餘事況條寫如後云云微之微之作此書夜正在草堂中山窗下信手把筆隨意亂書封題之時不覺欲曙擧頭但見山僧一兩人或坐或睡又聞山猿谷鳥哀鳴啾啾平生故人去我萬里瞥然塵念此際暫生餘習所牽便成三韻云憶昔封書與君夜金鑾殿後欲明天今夜封書在何處廬山菴裏曉燈前籠鳥檻猿倶未死人閒相見是何年微之微之此夕我心君知之乎樂天頓首

 

 

 

 

 

 

 



     (注) 1. 本文は、新釈漢文大系101『白氏文集 五』(岡村繁著、明治書院・
           平成16年2月10日初版発行)所収のものによりました。
             ただし、返り点・句読点、改行などは省略しました。
          2. 元稹の詩を引用した部分の「暗風吹雨入寒窻」の「窻」は、原文は「穴」
           +「怱」の字になっています。
          3. この手紙は、元和12年(817)、46歳の白楽天が江州司馬の任にあっ
           た時、通州(四川省達県市)にいた元稹に宛てて書かれたものです。
          4. 白居易(はくきょい)=中唐の詩人。字は楽天、号は香山居士。下邽
                            (かけい)(陝西渭南)の人。その詩は流麗で平易、広く愛
                    誦され、日本の平安朝時代文学にも多大の影響を与
                    えた。「長恨歌」「琵琶行」など最も人口に膾炙
(かいしゃ)
                           
し、「白氏文集」の著のほか、社会の矛盾を指弾した
                    「新楽府」50首がある。(772~846)  
                          
                        元稹(げんしん・ゲンジンとも) =中唐の詩人・政治家。字は微之。
                    河南洛陽の人。官は宰相に至る。白居易と親交あつく、
                    相携えて平易な詩風を唱え、元白と並称された。詩文
                    集「元氏長慶集」、伝奇小説「鶯鶯伝」。(779~831)       
                                
 (以上、『広辞苑』第6版による。)

 


                              
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