資料115 蘇東坡「前赤壁賦」「後赤壁賦」



         前赤壁賦   蘇 東 坡(蘇子瞻)

壬戌之秋七月既望蘇子與客泛舟遊於赤壁之下淸風徐來水波不興擧酒屬客誦明月之詩歌窈窕之章少焉月出於東山之上徘徊於斗牛之閒白露横江水光接天縱一葦之所如凌萬頃之茫然浩浩乎如馮虚御風而不知其所止飄飄乎如遺世獨立羽化而登仙於是飲酒樂甚扣舷而歌之歌曰桂櫂兮蘭槳撃空明兮泝流光渺渺兮予懷望美人兮天一方客有吹洞簫者倚歌而和之其聲嗚嗚然如怨如慕如泣如訴餘音嫋嫋不絶如縷舞幽壑之濳蛟泣孤舟之嫠婦蘇子愀然正襟危坐而問客曰何爲其然也客曰月明星稀烏鵲南飛此非曹孟德之詩乎西望夏口東望武昌山川相繆鬱乎蒼蒼此非孟德之困於周郎者乎方其破荊州下江陵順流而東也舳艫千里旌旗蔽空釃酒臨江横槊賦詩固一世之雄也而今安在哉況吾與子漁樵於江渚之上侶魚鰕而友麋鹿駕一葉之輕舟擧匏樽以相屬寄蜉蝣於天地眇滄海之一粟哀吾生之須臾羨長江之無窮挾飛仙以遨遊抱明月而長終知不可乎驟得託遺響於悲風蘇子曰客亦知夫水與月乎逝者如斯而未嘗往也盈虚者如彼而卒莫消長也蓋將自其變者而觀之則天地曾不能以一瞬自其不變者而觀之則物與我皆無盡也而又何羨乎且夫天地之閒物各有主苟非吾之所有雖一毫而莫取惟江上之淸風與山閒之明月耳得之而爲聲目遇之而成色取之無禁用之不竭是造物者之無盡藏也而吾與子之所共適客喜而笑洗盞更酌肴核既盡杯盤狼藉相與枕藉乎舟中不知東方之既白               
     
       

    後赤壁賦    蘇 東 坡(蘇子瞻)  

是歳十月之望歩自雪堂將歸于臨皐二客從予過黄泥之坂霜露既降木葉盡脱人影在地仰見明月顧而樂之行歌相答已而歎曰有客無酒有酒無肴月白風淸如此良夜何客曰今者薄暮擧網得魚巨口細鱗状如松江之鱸顧安所得酒乎歸而謀諸婦婦曰我有斗酒藏之久矣以待子不時之需於是攜酒與魚復遊於赤壁之下江流有聲斷岸千尺山高月小水落石出曾日月之幾何而江山不可復識矣予乃攝衣而上履巉巖披蒙茸踞虎豹登虬龍攀棲鶻之危巣俯馮夷之幽宮蓋二客之不能從焉劃然長嘯草木震動山鳴谷應風起水涌予亦悄然而悲肅然而恐凜乎其不可留也反而登舟放乎中流聽其所止而休焉時夜將半四顧寂寥適有孤鶴横江東來翅如車輪玄裳縞衣戛然長鳴掠予舟而西也須臾客去予亦就睡夢一道士羽衣翩躚過臨皐之下揖予而言曰赤壁之遊樂乎問其姓名俛而不答嗚呼噫嘻我知之矣疇昔之夜飛鳴而過我者非子也邪道士顧笑予亦驚悟開戸視之不見其處
 


(書き下し文)

     前赤壁の賦         蘇 東 坡(蘇子瞻)

壬戌(じんじゅつ)の秋、七月既望(きぼう)、蘇子(そし)客(かく)と舟を泛(うか)べて赤壁の下(もと)に遊ぶ。淸風徐(おもむ)ろに來たりて、水波(すいは)興(おこ)らず。酒を擧(あ)げて客(かく)に屬(しょく)し、明月の詩を誦し、窈窕(ようちょう)の章を歌ふ。少(しばらく)にして、月東山(とうざん)の上に出(い)で、斗牛の閒(かん)に徘徊す。白露(はくろ)江(こう)に横たはり、水光(すいこう)天に接す。一葦(いちい)の如(ゆ)く所を縱(ほしいまま)にして、萬頃(ばんけい)の茫然たるを凌(しの)ぐ。浩浩乎(こうこうこ)として虚に馮(よ)り風(ふう)に御(ぎょ)して、其の止(とど)まる所を知らざるが如く、飄飄乎(ひょうひょうこ)として世を遺(わす)れて獨立し、羽化して登仙(とうせん)するが如し。是(ここ)に於(おい)て酒を飲んで樂しむこと甚(はなは)だし。舷(ふなばた)を扣(たた)いて之(これ)を歌ふ。歌に曰(い)はく、「桂(かつら)の櫂(さお)蘭(らん)の槳(かじ)、空明(くうめい)に撃(う)ちて流光(りゅうこう)に泝(さかのぼ)る。渺渺(びょうびょう)たる予(わ)が懷(おも)ひ、美人を天の一方に望む」と。客(かく)に洞簫(どうしょう)を吹く者有り。歌に倚りて之(これ)に和す。其の聲嗚嗚然(おおぜん)として怨(うら)むが如く慕ふが如く、泣くが如く訴ふるが如し。餘音嫋嫋(じょうじょう)として、絶えざること縷(る)の如し。幽壑(ゆうがく)の濳蛟(せんこう)を舞はしめ、孤舟の嫠婦(りふ)を泣かしむ。蘇子愀然(しょうぜん)として襟を正し、危坐(きざ)して客(かく)に問ひて曰はく、「何爲(なんす)れぞ其れ然(しか)るや」と。客曰はく、「月明らかに星稀(まれ)に、烏鵲(うじゃく)南に飛ぶとは、此れ曹孟德の詩に非(あら)ずや。西のかた夏口を望み、東のかた武昌を望めば、山川(さんせん)相繆(あいまと)ひ、鬱乎(うっこ)として蒼蒼(そうそう)たり。此れ孟德の周郎に困(くる)しめられし者(ところ)に非ずや。其の荊州を破り、江陵を下り、流れに順(したが)つて東するに方(あた)りてや、舳艫(じくろ)千里、旌旗(せいき)空を蔽(おお)ふ。酒を釃(した)みて江(こう)に臨(のぞ)み、槊(ほこ)を横たへて詩を賦す。固(まこと)に一世の雄(ゆう)なり。而(しか)るに今安(いずく)に在りや。況んや吾と子(し)と、江渚(こうしょ)の上(ほとり)に漁樵(ぎょしょう)し、魚鰕(ぎょか)を侶(とも)とし、麋鹿(びろく)を友とし、一葉(いちよう)の輕舟(けいしゅう)に駕(が)し、匏樽(ほうそん)を擧げて以て相屬(あいしょく)し、蜉蝣(ふゆう)を天地に寄す、眇(びょう)たる滄海(そうかい)の一粟(いちぞく)なるをや。吾が生の須臾(しゅゆ)なるを哀しみ、長江の窮(きわ)まり無きを羨(うらや)む。飛仙(ひせん)を挾(わきばさ)んで以て遨遊(ごうゆう)し、明月を抱いて長(とこし)へに終へんこと、驟(にわ)かには得(う)べからざるを知り、遺響を悲風に託せり」と。蘇子曰はく、「客(かく)も亦、夫(か)の水と月とを知るか。逝く者は斯(か)くの如くなれども、未だ嘗て往かざるなり。盈虚(えいきょ)する者は彼(か)の如くなれども、卒(つい)に消長する莫(な)きなり。蓋(けだ)し將(は)た其の變ずる者よりして之(これ)を觀れば、則ち天地も曾(かつ)て以て一瞬なること能はず。其の變ぜざる者よりして之を觀れば、則ち物と我と皆盡くる無きなり。而(しか)るを又何をか羨まんや。且つ夫(そ)れ天地の閒(かん)、物各(おのおの)主(しゅ)有り。苟(いやし)くも吾の有する所に非(あら)ずんば、一毫(いちごう)と雖(いえど)も取ること莫(な)し。惟(た)だ江上(こうじょう)の淸風と、山閒の明月とは、耳之(これ)を得て聲を爲(な)し、目之(これ)に遇ひて色を成す。之(これ)を取れども禁ずる無く、之(これ)を用ふれども竭(つ)きず。是(こ)れ造物者の無盡藏(むじんぞう)なり。而(しか)して吾と子(し)との共に適する所なり」と。客(かく)喜びて笑ひ、盞(さかづき)を洗つて更に酌む。肴核(こうかく)既に盡きて、杯盤(はいばん)狼藉(ろうぜき)たり。相與(あいとも)に舟中に枕藉(ちんしゃ)して、東方の既に白(しら)むを知らず。


      後赤壁賦(ごせきへきのふ)  蘇 東 坡(蘇子瞻)

是(こ)の歳(とし)十月の望(ぼう)、雪堂(せつどう)より歩(ほ)して、將(まさ)に臨皐(りんこう)に歸らんとす。二客(にかく)予に從ひて黄泥(こうでい)の坂を過ぐ。霜露(そうろ)既に降(くだ)り、木葉(ぼくよう)盡(ことごと)く脱す。人影(じんえい)地に在り、仰いで明月を見る。顧(かえり)みて之(これ)を樂しみ、行(ゆくゆく)歌うて相答(あいこた)ふ。已(すで)にして歎じて曰はく、「客(かく)有れども、酒無し、酒有れども肴(さかな)無し。月白く風淸し。此の良夜(りょうや)を如何(いかん)せん」と。客(かく)曰はく、「今者(きょう)の薄暮(はくぼ)に、網を擧げて魚(うお)を得たり。巨口細鱗(きょこうさいりん)にして、状(かたち)松江(しょうこう)の鱸(すずき)の如し。顧(おも)ふに安(いず)くにか酒を得(う)る所あらんや」と。歸りて諸(これ)を婦(ふ)に謀(はか)る。婦(ふ)曰はく、「我に斗酒(としゅ)有り。之を藏すること久し。以て子(し)の不時の需(もとめ)を待つ」と。是(ここ)に於て、酒と魚(うお)とを攜(たずさ)へ、復(ま)た赤壁の下(もと)に遊ぶ。江流(こうりゅう)聲有り、斷岸(だんがん)千尺。山高く月小に、水落ちて石出(い)づ。曾(かつ)て日月(じつげつ)の幾何(いくばく)ぞや。而(しこう)して江山(こうざん)復た識(し)るべからず。予乃(すなわ)ち衣(ころも)を攝(かか)げて上(のぼ)り、巉巖(ざんがん)を履(ふ)み、蒙茸(もうじょう)を披(ひら)き、虎豹(こひょう)に踞(うずくま)り、虬龍(きゅうりょう)に登り、棲鶻(せいこつ)の危巣(きそう)を攀(よ)ぢ、馮夷(ひょうい)の幽宮(ゆうきゅう)に俯す。蓋(けだ)し二客(にかく)は之(こ)れ從ふ能(あた)はず。劃然(かくぜん)として長嘯(ちょうしょう)すれば、草木震動し、山鳴り谷應(こた)へ、風起り水涌(わ)く。予も亦悄然(しょうぜん)として悲しみ、肅然(しゅくぜん)として恐れ、凜乎(りんこ)として其れ留(とど)まるべからざるなり。反(かえ)りて舟に登り、中流に放ち、其の止(とど)まる所に聽(まか)せて休(いこ)ふ。時に夜(よ)は將(まさ)に半(なかば)ならんとし、四顧すれば寂寥(せきりょう)たり。適(たまたま)孤鶴(こかく)有り、江(こう)を横ぎりて東より來(きた)る。翅(つばさ)は車輪の如く、玄裳縞衣(げんしょうこうい)、戛然(かつぜん)として長鳴(ちょうめい)し、予が舟を掠(かす)めて西せり。須臾(しゅゆ)にして客(かく)去り、予も亦睡(ねむり)に就く。一道士を夢む。羽衣翩躚(ういへんせん)として、臨皐(りんこう)の下(もと)を過ぎ、予に揖(ゆう)して言ひて曰はく、「赤壁の遊び樂しかりしか」と。其の姓名を問へば、俛(ふ)して答へず。「嗚呼(ああ)噫嘻(ああ)、我之(これ)を知れり。疇昔(ちゅうせき)の夜(よる)、飛鳴(ひめい)して我を過(よぎ)りし者は、子(し)に非ずや」。道士顧(かえり)みて笑ふ。予も亦驚き悟(さ)め、戸を開きて之(これ)を視るも、其の處(ところ)を見ず。



  (注) 1.   「前赤壁賦」「後赤壁賦」の本文は、新釈漢文大系16『古文真宝(後集)』(星川清孝著、明治書院、昭和38年7月20日初版発行、昭和46年5月10日14版発行)によりました。
 ただし、本文の訓点・句読点、段落分け等は省略しました。 
   
    2.  書き下し文について。
 (1)「客」の漢音は「カク」、呉音は「キャク」なので、ここでは漢文は漢音で読むという原則に従って、「カク」と読んでおきました。
 (2)「前赤壁賦」の「浩浩乎如馮虚御風……」の「御風」は、「ふうにぎょして」と読みましたが、「かぜにぎょして」と読む人もいます。
 (3)「蘇子愀然正襟危坐而問客曰」の「愀然」は、「しょうぜん」「しゅうぜん」の両方に読まれているようです。新釈漢文大系16『古文真宝(後集)』(星川清孝著)の「語釈」に、「『康煕字典』にこの句を引いて「悄(せう)と通ず」という。一音「シウゼン」。」とあります。 
   
    3.  新釈漢文大系18『文章軌範(正篇)下』(前野直彬著、明治書院、昭和37年9月15日初版発行、昭和45年5月10日12版発行)所収の「前赤壁賦」「後赤壁賦」との本文比較を次に記しておきます。 
       
 「前赤壁賦」
『古文真宝(後集)』 『文章軌範(正篇)下』
  桂兮蘭槳      桂兮蘭槳
  駕一葉之舟     駕一葉之

 「後赤壁賦」
 攀鶻之危巣      攀鶻之危巣
 蓋二客不能從焉    蓋二客不能從焉
飛鳴而過我者非子也   飛鳴而過我者非子也
        
   
    4.  作者の蘇東坡は、北宋の詩人・文章家。唐宋八家の一人。名は軾、字は子瞻。号は東坡(居士)。父の洵(じゅん)、弟の轍(てつ)とともに三蘇と呼ばれる。王安石と合わず地方官を歴任、のち礼部尚書に至る。新法党に陥れられて瓊(けい)州・恵州に貶謫(へんたく)。書画も能くした。諡(おくりな)は文忠。「赤壁賦」ほかが「蘇東坡全集」に収められる。(1036~1101)(『広辞苑』第6版による。)     
           
           





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