資料5 “Pippa's Song”と「春の朝(あした)」


         
  
                   
     ロバート・ブラウニングの “Pippa's Song” と
     上田敏の訳詩「春の朝(あした)」
             (訳詩集『海潮音』より)


 
        Pippa's  Song                                                   
                        Robert  Browning

The year's at the spring 
And day's at the morn;   
Morning's at seven;    
The hill‐side's dew‐pearled;    
The lark's on the wing;   
The snail's on the thorn;
God's in his heaven ― 
All's right with the world! 
 
      (Pippa passes, 1841) 
 
   

   春の朝
       
ブラウニング
         上   田      敏

時は春、
日は朝(あした)
(あした)は七時、
片岡(かたをか)に露みちて、
揚雲雀(あげひばり)なのりいで、
蝸牛(かたつむり)枝に這(は)ひ、
神、そらに知ろしめす。
すべて世は事も無し。 
 
   (「万年艸」明治35年12月発表)
   (『海潮音』明治38年10月刊所収)
 
       


  (注) 1.   “Pippa's Song” について
(1) “Pippa's Song” の本文は、ワイド版岩波文庫30 『イギリス名詩選』(平井正穂編・ 1991年1月24日第1刷発行)によりました。

(2) "Project Gutenberg"の “The Oxford Book of English Verse, HTML edition” の本文によれば、1行目の“The” が“THE” となっており、“spring”の次に“ , ” があり、4行目の “dew‐pearled”  が “dew‐pearl’d” に、7行目の “his” が“His” になっています。

   "Project Gutenberg"
  → “The Oxford Book of English Verse"
    →  718. Pippa's Song )

       Pippa's  Song                                   
                        Robert  Browning                     
                                         
  THE year's at the spring,             
  And day's at the morn;                
  Morning's at seven;                  
  The hill‐side's dew‐pearl'd;                          
  The lark's on the wing;                
  The snail's on the thorn;             
  God's in His heaven ──                
  All's right with the world! 
   (The Oxford Book of English Verse, HTML edition)

(3) 平井正穂氏は上掲書の脚注で、
 「ここに掲げた短詩は、『ピパ過ぎゆく』(Pippa Passes, 1841)という劇詩の中で、罪を犯している男女の心をうつ、純真な少女ピパの唄である。上田敏の名訳でわが国でも昔から有名。」
と書いておられます。  

(4) ブラウニング(Robert Browning)=イギリス、ヴィクトリア朝の抒情詩人。劇的独白の形式で性格解剖や心理描写を試みた。作「ピパは過ぎゆく」「男と女」「指輪と書物」など。(1812-1889) (『広辞苑』第6版による。) 
                  
   
    2.  上田敏訳 「春の朝(あした)」について
(1) 初出は、「万年艸」(明治35年12月)です。
(2) 詩の本文は、「校訂・注釈・解説  関良一『近代文学註釈大系近代詩』昭和38年9月10日発行・昭和39年12月20日再版発行、有精堂」によりました。
(3) 本文のルビ(振り仮名)は、( )に入れて示しました。
(4) なお、「片岡」のルビは、関氏の本では現代仮名遣いになっているのを、引用者が歴史的仮名遣いに改めました。

(5) 関良一氏の『近代文学註釈大系 近代詩』の頭注から、いくつか引かせていただきます。
 〇片岡──丘の片側。一方が高く、一方が低くなっている丘の意もあるが、ここは前者。上代語。原作は「岡の側面」。

   * * * * *
 ここで、『日本国語大辞典』(第1版)の「片岡」を引いておくと、
 〇かたおか……をか 〔片岡〕
 一、(名)1.裾の一方が他方より長く、なだらかに傾斜した岡。一説に、一つだけの、孤立した岡。 *万葉-七・1099「片岡(かたをか)のこの向つ峯に椎蒔(ま)かば今年の夏の蔭にならむか<作者未詳>」 *大和-86「かたをかにわらび萌えずはたづねつつ心やりにやわかな摘ままし」 *山家集-上「かた岡にしば移りしてなく雉子(きぎす)たつ羽音とてたかからぬかは」 2.岡の一方、片側(日葡辞書)。
 二、奈良県北葛城郡王寺町付近の丘陵。生駒山の東南裾にあたる。歌枕。*書紀-推古21年12月「十二月、庚午朔(ついたち)の日、皇太子片岡に遊行(い)でましたまひき」(補注)「万葉集」の例は地名と考える説もある。

   * * * * *

 〇揚雲雀なのりいで──空にあがるひばりが、鳴き声を立てて姿をあらわし。「揚雲雀」は空高く舞いあがるひばり。「なのりいで」は、自分の名をなのって現われの意で、鳴き声を立てる意。擬人法。原作では「ひばりが飛び」。
 〇神、そらに知ろしめす──「知ろしめす」は、お治めになる。原作では「神は彼の天に在る」。(引用者注:「彼の」は「かの」と読む。あの、の意。)
 〇すべて世は事も無し──すべてこの世は無事平穏である。原作では「世はすべて正しい」で、神の愛と力を確信している詩情の表現。 
(6) 国立国会図書館デジタルコレクションに、本郷書院発行の『海潮音』(明治38年10月13日発行)が入っています。
  国立国会図書館デジタルコレクション
  →『海潮音』(本郷書院、明治38年10月13日発行)
 「わすれなぐさ」は 70/150 に出ています。
(7) 『海潮音』は、電子図書館「青空文庫」でも読むことができます。
(8) 上田敏(うえだ・びん)=英文学者・詩人。柳村と号。東京生れ。東大卒。京大教授。北村透谷没後の「文学界」を指導。詩藻に富み、西欧文学の移植に寄与。訳詩「海潮音」「牧羊神」、小説「うづまき」、著「詩聖ダンテ」「みをつくし」など。(1874-1916) (『広辞苑』第6版による。)
(9)  海潮音(かいちょうおん)=訳詩集。訳者上田敏。1905年(明治38)10月刊。イタリア・イギリス・ドイツ・フランスの詩人29人の作品57編を訳したもの。高踏派と象徴派の作に重点をおく。(『広辞苑』第6版による。)
   
    3.    “Pippa Passes”について
(1) “Internet Archive” というサイトで、“Pippa Passes”を読むことができます。
  “Pippa Passes”  Published  1910  by Barse & Hopkins in New Yoek.
 (下部の三角をクリックして、ページをめくります。)
(2) 『物語倶楽部』という、現在閉鎖されている電子図書館で、“PIPPA PASSES”を読むことができます。(2010.6.22)  
  “PIPPA PASSES”  
         
 ※  『物語倶楽部』というサイトについては、『ウィキペディア』『物語倶楽部』という項目があります。
   
    4.  『赤毛のアン』に引用されたこの詩の二句について

(1)L.M.モンゴメリ作、村岡花子訳の『赤毛のアン』(Anne of Green Gables)(講談社・2014年5月22日第1刷発行)の「第38章 道の曲がり角」の最後(つまり、『赤毛のアン』の最後)に、
 「神は天にあり、世はすべてよし。」と、アンはそっとささやきました。
と、この詩の最後の2行が引用されています。

(2) 現在、閉鎖されている『物語倶楽部』というサイトの、『グリーン・ゲイブルズのアン』の「38章 道の途中の曲がり角」の最後(『グリーンゲイブルズのアン』の最後)には、
 「そう、『神が天にあるのだ、この世の全てが好ましい』」そっと囁くアンだった。
とあります。訳者は、「OSAWA」となっています。

(3)掛川恭子訳「完訳赤毛のアン」シリーズ1『赤毛のアン』(講談社・1990年5月20日、初版第1刷発行)では、
 「神は天にあり、この世はすべてなにごともなし。」
 アンはそっとささやいた。
と訳されています。

(4)松本侑子訳『赤毛のアン』(集英社・1993年4月25日第1刷発行)の訳では、
 「『神は天に在り、この世はすべてよし』」アンはそっとつぶやいた。
となっています。巻末の「訳者ノート」で、訳者の松本侑子氏はこの詩句について、
 「神は天に在り、この世はすべてよし」……ロバート・ブラウニングの劇詩『ピッパが通る』の朝の詩より、最後の二行が引用されている。この詩は、上田敏(1874~1916)が『春の朝(あした)』という題で訳して『海潮音』に収録し、日本に紹介した。この一節は、人間に対する信頼と楽天主義というブラウニングの特質をよく表すものとして有名で、アガサ・クリスティ『ABC殺人事件』、ヴァン・ダイン『僧正殺人事件』など、現代の推理 小説にも引用されている。(後略)
と解説されています。

 参考までに、 "Project Gutenberg" から、"ANNE OF GREEN   GABLES"の該当部分の原文を引いておきます。

  Anne's horizons had closed in since the night she had sat there after  coming home from Queen's; but if the path set before her feet was to be  narrow she knew that flowers of quiet happiness would bloom along it.
 The joy of sincere work and worthy aspiration and congenial friendship  were to be hers; nothing could rob her of her birthright of fancy or her ideal  world  of dreams.  And  there  was always the bend  in the road!
 " 'God's in his heaven, all's right with the world,' " whispered Anne softly.

   
    5.  アガサ・クリスティの『ABC殺人事件』に引用されている該当の詩句を堀田善衛の訳(創元推理文庫、1959年6月20日初版)で引いておきます。
        25 挿話
 カスト氏はリーガル・シネマから出て来て、空を見上げた。
 美しい夜だ……まったく美しい夜だ……
 ブラウニングの詩の一句が頭にうかんだ。
 「神は天に、世はなべてこともなし」  
 彼はこの句が好きだった。
 しかし、これが真実でないと感じるときもしばしばあった……
 彼はひとり微笑しながら、自分の泊っている『ブラック・スワン』まで歩いていった。(同文庫、227頁)
 (引用者注:カスト氏は、退役軍人の婦人靴下行商人。)

 中村能三氏の新潮文庫(昭和35年9月25日発行)の訳では、
  ブラウニングの詩の一節が頭にうかんだ。
  「神、天にしろしめす。すべてこの世はこともなし」  
  彼はこの詩句がむかしから好きであった。
  ただ、それもしばしば、この言葉が真実でないと思うときがあった……                                                    
            (同文庫、229頁)
となっています。  
 
   
    6.  富士川義之氏が、岩波文庫の『対訳 ブラウニング詩集 ─イギリス詩人選6』(2005年12月16日第1刷発行)の中で、この部分を、
   神様は天にいます──
   天下泰平、天下泰平!
と訳されています。(同書、27頁)
 参考までに詩の全文訳をあげておくと、

   時は春
   春の朝です。
   朝は七時、
   丘辺には真珠の露が光っています。
   雲雀(ひばり)は空を舞い、
   かたつむりは茨(いばら)を這(は)う。
   神様は天にいます──
   天下泰平、天下泰平!

 また、富士川氏は脚注に、
 「第1部の朝の場面の主題となる歌。可憐な少女ピパが年に一度の休暇である元日の朝に、丘の上の邸宅の前で歌う無心の歌。邸内では前夜、主人のルカが妻オティマとその愛人ゼーバルトによって殺害されていた。ピパの歌を聞いたゼーバルトは強い良心の呵責にせめられて自害し、オティマもまた男の冥福を祈りながら彼のあとを追う。最後の2行はピパの無心さを表わしており、従来しばしば指摘されてきたブラウニングの楽天主義的な人生観自体のストレートな表明ではないとする解釈が近年では有力。劇中歌としても読むべきである。」
と注しておられます。

 なお、in his heaven = in his  proper place,  not away from the earth. また、“All's  right with the world!” については、
 「生きとし生けるすべてのものが、それぞれに所を得て、平穏無事であること。この最終行は上田敏訳「すべて世は事も無し。」(『海潮音』所収の「春の朝」)でとりわけ知られる。」
と書いておられます。 (2010年7月25日)
    
   
    7.  ヴァン・ダインの『僧正殺人事件』に引用されている該当部分を、次に引いておきます。

(1)平井呈一氏の訳(世界推理小説大系 第7巻『僧正殺人事件 ヴァン・ダイン、ある男の首 シムノン講談社発行、昭和48年1月10日第1刷 所収。『ある男の首』は石川湧氏訳)

 ヴァンス(引用者注:この小説の主役・素人探偵)は女中をひきとらせると、立ちあがって、表の窓ぎわへ行った。彼はよそ目にも何か不審な節(ふし)があるらしく、しばらくそこに立って、河岸の方へ出る通りを見おろしていた。
 「なるほどね」彼はつぶやくようにいった。「こりゃ自然に親しむには持ってこいの日だ。けさ八時ごろにはきっと、揚げ雲雀(ひばり)名のりいで、ねえ、蝸牛(かたつむり)枝に這いさ。ところが、どうじゃ、世は事もなしとはまいらんわい」(訳注──このあたり、ブラウニングの名詩「ピッパの歌」(上田敏の名訳「春の朝」──海潮音)をふまえているものと思われる)
 マーカム(引用者注:ニューヨーク州の地方検事)にも、ヴァンスの当惑のようすがそれとわかった。(同書、101~102頁)

(2)井上勇氏の訳(世界推理小説全集17巻『僧正殺人事件』創元社発行、昭和31年3月15日初版

 ヴァンスは女中を放免すると立ちあがって表の窓のところに行った。彼はあきらかに、納得のゆかぬ節があるらしく、数分間、河の方へ行く往来を見おろして立っていた。
 「まったくね」とヴァンスは呟いた。「自然に親しむにはもってこいの日だ。けさの八時、雲雀はきっと空をとんでいたにちがいない──ところが、あにはからんや──藪のなかには蝸牛がいたんだろう。
 しかし──いやはや──世の中はなにからなにまで正しいとは限らんのでこまる」
 マーカムはヴァンスが当惑しているのに気付いた。(同書、134頁)                                                        
         (2012年11月24日付記)
   
    8.  今年(2014年)の1月に、岩波ジュニア新書から、福田昇八氏の『英詩のこころ』(2014年1月21日第1刷発行)といういい本が出ました。ここに、ブラウニングのこの詩が取り上げられていて、詳しい解説が見られます。

 次に、福田氏の解説を一部引かせていただきます。(詳しくは、ぜひ本書をごらんください。)
 「この詩は、イタリアの小さな町アソロを舞台にブラウニング(1812-1889)が書いた詩劇『ピッパが通る』(Pippa Passes, 1841) の中で、町の織物(おりもの)工場で働く少女ピッパが朝早く街を歩きながら歌う「ピッパの歌」です(第1部221行以下)。劇の中で、街の4人の悪者がその清らかな歌声を聴いて、罪を悔(く)い改めるという筋立てになっています。」
という解説の後に、上田敏の訳詩に触れ、さらに、
 「この歌のポイントは結びの2行にあります。ここは「神様が天にいて見ていてくださる。だから、世は太平だ」という意味です。イタリアはカトリック教国ですから、すべては神の思(おぼ)し召(め)しで、この劇の悪人たちも、ピッパの歌声でそのことに思いいたります。清らかな少女の歌声にのせて、詩の力、唄の力が発揮された歌です。」
とあります。次にこの詩の脚韻に触れ、その後に、
 「結びの with the world は「世に関しては」。 会話で「どうしたの?」とたずねるとき、“What's the matter with you?” と言いますが、この with と同じ使い方。
 この詩では第1行から詩的表現です(会話では、こんな言い方はしない)。「飛んでいる」の on the wing も詩語です(会話では flying)。」
とあります。(2014年11月9日付記)
   







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